001 名無しさん (2011/04/18(月) 12:36:00 ID:lqbrx3Wq/c)
日本全国に点在する、神秘的かつホラーな島や気味の悪い村を挙げるスレです。
もしや、あなたのご近所にもあるのではないでしょうか?

002 名無しさん (2011/04/18(月) 12:38:44 ID:lqbrx3Wq/c)
数多くのタブーが存在する禁断の人魚を祭る島『新城島』(あらぐすくじま)

美しい海に浮かぶ沖縄県・新城島は、数多くのタブーが存在する禁断の島と言われている。
御嶽(うたき)と呼ばれる撮影禁止、入ることも許されない人魚神社……島民以外は参加することが許されない謎の儀式。
島民も鳥居の奥に何があるか、中で何が行われるのか、決して語ってはならない。
万が一、掟に背き無断で中に入ってしまったら、その人間に災いが降りかかり、原因不明の体調不良で苦しみ、死に至る者もいるという……。
003 キャノン砲♂ (2011/04/18(月) 12:47:01 ID:jBK7TQ2K8o)
昔、「じゅっぱん」と呼ばれる集落があって
首つり小屋や犬の死体たくさん放置されてるとか
子供の間で噂になってて誰も近寄らなかったよ
004 王大人 (2011/04/18(月) 13:00:14 ID:IXRaRvUU7s)
ここかな
今は 取り壊されてしまったけど
http://b-spot.seesaa.net/article/38297592.html
近くに 土地を買って小さな小屋を建てて
夏 海など 遊びに来てたりしてたんだけど
この建物に気づくまで2~3年かかった

中に入った事はなかったけど とにかく不気味だったな・・・

主が時々外に居て 挨拶したりした

主が亡くなって 取り壊しする時 壁から主の嫁の白骨死体が出てきたらしく
やっぱり キティな人・・・だったな・・・



005 名無しさん (2011/04/18(月) 13:04:08 ID:lqbrx3Wq/c)
     その無人島は『海の火葬場』

岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。

火葬場の施設があるわけではない。タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、
松ヤニを油代わりに野焼きしたという。大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、
夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。
島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?

明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、
岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、
ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。
006 名無しさん (2011/04/18(月) 13:04:54 ID:lqbrx3Wq/c)
     戒名の彫られた墓石が投げ込まれている      

洋上の火葬場は『タテ』だけではない。北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。まるで対で存在するかのような火葬用の島。

コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、
職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。

画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。

とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。
007 名無しさん (2011/04/18(月) 14:03:41 ID:.H0zWQ..mE)

いわくつきと言うよりも実証されているので怖くて言えない場所がある
008 まさお (2011/04/18(月) 15:11:09 ID:QEgPbs5KLU)
大久野島でググれ。
009 名無しさん (2011/04/18(月) 15:26:25 ID:A2N4xYenkE)
人売りで有名になった三重の○○○島は?
逃げ出すにも島だから逃げ出せないらしいね。
このことについて取材していた記者が行方不明になった。
010 名無しさん (2011/04/18(月) 15:48:03 ID:lqbrx3Wq/c)
[YouTubeで再生]
     女人禁制の『海の正倉院』沖ノ島

九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、沖ノ島。

島には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っている。日本書紀に記されるほど古の時代から縁ある土地なのだ。
人口は、沖津宮に常駐する宮司がたった1人のみ。それも、福岡県宗像市の宗像大社からわざわざ派遣され、10日勤務の交代制だそう。

沖ノ島は古くから航路の道標とされると同時に、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。
とはいっても、男性ですら毎年5月27日に開かれる大祭以外の上陸は許されず、その数も250人程度に制限されているほどだ。
上陸前には海中で全裸になり、みそぎを済ましてからでないと立ち入ってはならない掟がある。
それは派遣されてくる宮司とて同じ。真冬の玄界灘は身が切られんばかりに冷たい。

今も禁忌は残っている。
海中でのみそぎだけでなく、島に上陸したとしても島にあるものは一木一草一石たりと持ち出すのは許されない。
さらに島で見聞きしたことでさえ、口にしてはいけないという過酷な掟があったため、周辺の漁師たちは畏怖をこめて、
島の別名を『御不言様』(おいわずさま)と呼んだ。

1954年(昭和29年)以来、十数年かけて沖ノ島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。
このことから、沖ノ島は俗に『海の正倉院』と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていた所以だ。
また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、
2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として、
世界遺産暫定リストに掲載された。

それだけでなく、島は国の史跡に指定されているとともに、原生林は亜熱帯植物の北限地として国の天然記念物に、
海鳥の集団繁殖地として国の鳥獣保護区にも指定されるなど、自然環境の面からも保護を受けている。
011 名無しさん (2011/04/18(月) 15:55:13 ID:lqbrx3Wq/c)
[YouTubeで再生]
仏島は何やら不気味な島だ。

『まんが日本昔ばなし』にもネタにされてる島で(まんま『仏島』ってタイトル)、
かなりホラーな内容の伝説があるようだ。

今はどこの動画も削除されてるので観られない……
012 三遊亭明和 (2011/04/18(月) 17:56:13 ID:D80o01JGaY)
>>2 一昨年行ったけどさ、信仰うんたらの恐怖よりも島民と元島民の利権の争いの方がこえーよ
013 名無しさん (2011/04/18(月) 19:53:45 ID:lqbrx3Wq/c)
>>12
詳しくお願いします。
014 名無しさん (2011/04/18(月) 21:05:58 ID:BP2jAxz0ag)
渡鹿野島・・・
015 名無しさん (2011/04/19(火) 00:49:09 ID:Q4jXfd/NZE)
都市伝説と違ってシャレにならないからコワい。
016 名無しさん (2011/04/19(火) 19:46:28 ID:W6l1dajZHo)
017 名無しさん (2011/04/19(火) 19:51:24 ID:W6l1dajZHo)
[YouTubeで再生]
>>8

大久野島 良いね♡
018 名無しさん (2011/04/20(水) 01:11:34 ID:dTYq3J/C/o)
>>4
某廃墟系サイトで突入してたっけな 懐かしい
019 (2011/04/21(木) 10:48:55 ID:DoEzwiPrZA)
削除(by投稿者)
020 名無しさん (2011/04/23(土) 00:09:12 ID:q9NTXmz5bM)
     血族結婚の村

石川県の某集落には、いまだに血族結婚の風習が残ってる。
村民の多くは同じ苗字を名乗り、顔は老人から子供までどこか似ており、仕草まで同じ特徴が見られるという。

現代日本では血族結婚は倫理的にも法律的にもタブーとされている。
しかしながら日本国憲法においては、『本人』『直系血族』『3親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)』
『直系姻族(婚姻関係終了後も継続)』『養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)』との婚姻届は受理されないものの、
憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とあるだけで近親者間の性交そのものを禁止しているわけではない。
すなわち、近親者同士であっても事実婚は阻害されないと、ちゃんと定められているのだ。

とはいえ、血が濃くなると障害をもった子供が生まれる確率が高くなったり、犯罪に手を染めやすいといった昔ながらの先入観もあるだろう。
ところが、この村の人々の特徴は、IQや運動能力がズバ抜けて高く、ほとんど病気知らずらしい。
あるマスコミ関係者は言う。「某村の人々が病気にならないのは、通常では考えられないような強い免疫力を持っているからに違いありません。
突発的に、住人の1人が突然変異によって獲得した『特殊能力』が血族結婚によって守られ、代々受け継がれてきたのではないでしょうか」
唯一のマイナス面といえば80歳で胃癌で亡くなる遺伝傾向があるそうだが、そこまで生きられれば御の字だろう。


ではなぜ、今もなお血族結婚の風習が廃れることなく続いているのか。
村を出たという元住人の証言によれば……
数百年前、村は飢饉の打撃を受け、村人のほとんどが餓死する窮地に陥った。
この危機的状況を打開すべく、村人らは一計を案じた。村へ嫁ぎに来た女性を『民の花嫁』とするのだ。
一個人に捧げるのではなく、村の男全員に奉仕する役目を負わせたわけだ。
つまり、花嫁は万が一、夫との間に子供ができなくても、村人の誰かの子種を宿すことができれば確率的に子孫繁栄しやすくなる。
一の矢がはずれても、二の矢、三の矢で的を射るべし、ということだ。
婚礼の前日、たった一人実家に残された花嫁は、次から次へと訪れる村の男と交わねばならないという。
新郎はそれを指をくわえて見守るしか術がなかったそうだ。

この『民の花嫁』の風習のおかげで、某村はかつての活気を取り戻したうえ、予期せぬ副産物も得ることができた。
上述した『知能・運動神経が秀でており、なおかつ病気に強い』遺伝子を獲得するに至ったというわけだ。
021 名無しさん (2011/04/23(土) 00:15:22 ID:q9NTXmz5bM)
     『クロ宗』の鉄の掟

今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、
なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。

『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、
生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。

ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。
サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、
その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」

とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、
異様な雰囲気を醸し出している。

『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。

※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。あまり真に受けないように。
022 名無しさん (2011/04/23(土) 00:22:32 ID:Yr4u.CGh2Y)
地方新聞の記者の女の子がゆk
023 名無しさん (2011/04/23(土) 10:55:29 ID:q9NTXmz5bM)
     クブラバリ

沖縄県の与那国島には悲しい歴史がある。

久部良集落の高台にある久部良張り(クブラバリ)とは、幅2~3メートル、深さ10数メートルほどの岩と岩の割れ目……クレバスだ。
その昔、八重山には琉球王府により、収穫量や能力を考慮することなく単純な頭数でかけられた人頭税なるものが存在した。
人頭税という制度は、「政府が要求する年貢は、島民1人につき、これだけ収めよ」という悪しきシステム。
与那国島で採れる作物量は限度があるし、年貢だけ収めててもギリギリの生活なのに、大家族だとますます首を絞められる。

この重税から逃れるため、島民は苦肉の策として口減らしを余儀なくされた。
なんと妊婦を集め、そのクブラバリ……岩と岩との割れ目をジャンプして飛び越えさせたというのだ。
失敗して転落死する女性、なんとか飛び越えられたとしても、恐怖のあまり流産する妊婦が出た……
つまり、これ以上島民を増さないよう、弱者の淘汰を促したのだ。
024 名無しさん (2011/04/23(土) 10:57:43 ID:q9NTXmz5bM)
     トゥングダ

同じく与那国島。今から200年もの前の話。
祖納の人舛田(トゥングダ)では、ある日突然、ホラやドラが打ち鳴らされたら合図。
それを耳にした男たち(15歳以上)は、仕事中だろうがなんだろうが、すべてを投げ捨て、
一目散に人桝田めがけて走り、我先に飛びこまなければならない。
その田んぼに入りきれずあぶれた者、たどり着けなかった者(ケガ人・病人・老人など)は、
島民の合意のもと、殺害されたという。

舛(マス)で人を計り、あふれた者を処分する。
そうでもしなければ人頭税は納めきれなかったそうだ。

現在はサトウキビ畑として名残りをとどめている。
025 名無しさん (2011/04/23(土) 17:37:28 ID:q9NTXmz5bM)
日本の各地には「避け地」と呼ばれる、伝染病隔離地区が存在していました。
隔離された集落には、定期的に食料が支給されていたのですが、
太平洋戦争が激化し、食糧難に陥り、政府側は彼らを「見捨てた」のです。
その事実を政府は、例の臭い物に蓋的に隠し続けてきた歴史があるのです。
犬鳴村がそうであるとは言いませんが、日本には実際に存在する事は確かです。
皆さんの住んでいる近くで、山間部の人気がないところに、自衛隊のヘリが定期的に飛んでいる所が有るんじゃないですか?
この事は自衛隊内でもトップシークレットに属す事ですので、知っている人は少ないはずです。
因みに、「避け地」に行く陸路はほとんど無いと考えられます。
026 名無しさん (2011/04/23(土) 19:27:40 ID:WZBvYjn5eA)
027 砂布巾 (2011/04/24(日) 00:23:33 ID:Bba2kWODZ.)
>>25
避け地に行く陸路がないような場所にどうやって伝染病患者を集められたのですか?
戦前陸路がないような場所にどうやって定期的に食糧を届けてたのですか?
戦前からヘリなんてあったっけ?
028 名無しさん (2011/04/24(日) 00:43:52 ID:N3w9.rmqMs)
>>27
2ちゃんのコピペです
信憑性は高くないと思われ
029 名無しさん (2011/04/24(日) 00:54:05 ID:N3w9.rmqMs)
岡山県備前市の鶴島はキリシタンが流刑に処された島。

地元の人はここへは寄り付かないことで有名。いろいろと怖いウワサがあとを絶たない。
島の所有者がことごとく逃げ出している。詳細はあえて書かないでおく……
http://www.city.bizen.okayama.jp/kankou/guide/hinase/spot/tsuru/index.jsp
030 名無しさん (2011/04/24(日) 08:20:19 ID:N3w9.rmqMs)
405 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/09/08(月) 21:06:39.35 ID:/nYwLP210

俺の親の実家にいまだに行われてる気味の悪い風習
親の実家は九州のとある島なんだけど、そこでいまだに信じられてる土着信仰があって、
なんでも死者は生者の血となり肉となり生きるってやつ
それは文字通り人が死んだら、その親族一同がその死者の肉の一部を食べるんだ
昔は骨までしゃぶる程やってたらしいけど、最近は流石に色々な問題があるらしく体の一部を切り取って
それを料理に混ぜて食べるって感じになってる
小学校の頃に初めて祖父の葬式でその儀式に立ち会ったけど、大きな肉きり包丁で右腕をひじの辺りまで切り取ってた
それを細かく切り分けてよく火を通してみんなで食べるんだけど、俺はどうしても無理で、
最終的に親父に無理矢理押さえつけられて食べさせられたのが今でもトラウマ
031 名無しさん (2011/04/24(日) 08:49:27 ID:N3w9.rmqMs)
     山賊村の村長はペテン師

三重県津市(以前は美里村だったが、2006年に津と合併。現在は津市美里町)の山中を進むと、
広大な土地が開けているのだが、僻地にふさわしくないペンションが乱立しているのだ。
ところが今では長年の風雨にさらされ、不気味な廃墟と化している。
近隣の地元の人は吐き捨てるように、こう呼んでいる。……『山賊村』と。

現在、山賊村では自らを『村長』と名乗る年老いた男がたった1人で住んでおり、ペンション経営をとうの昔に辞め、
自然食を食べさせてくれる『長寿郷協会』なる私設道場を開いている。
ネットで調べると、近くに同じ名前のアウトレットモールやレストランがあるらしく、
時折、県外の人たちが誤って足を踏み入れてしまうケースがあるそうだ。
しかし、あまりの異様な光景を目の当たりにし、慌てて逃げ出す人がほとんど。

村長の評判は最悪だ。
「あいつは大ペテン師だ」「あんな人間とかかわるのはやめた方がいい」「あの詐欺師に、まんまと嵌められた」
……などと、近隣住人が罵るにはワケがある。

過去になにがあったのだろうか? 近隣住人の1人が告白する。
「あそこはかつて村長の私有地だったのです。数十年前に、あの人にこう持ちかけられたんです。
『近いうち、この近くに空港が開発されることになった。とすれば、このあたりも観光地になるに違いない。
工事関係者から極秘に入手した新空港建設プロジェクトに乗っかり、私の所有する土地を山賊村と名づけて、
自然と触れ合えるテーマパークにしようじゃないか。土地を安く譲るから、ペンションを建てて儲けないか?』と」

村長は口が達者な男だったらしく、地元住人の多くが賛同し、こぞって山賊村予定地内に土地を購入した。
そのころから、山中には不釣合いなオシャレなペンションが林立していった。

ところがいくら月日が経っても、そんな僻地に空港が開発されるはずもない。
土地購入者たちはようやく騙されたことに気づいた。怒り狂い、みんなして村長のもとへ怒鳴りこみに行ったものの、
購入の際に契約書を作っておらず、口約束のみで資金を投入したので、ペテンにかけられたことを証明することにならなかったのだ。

騙された方も悪い。欲に目がくらんだ負い目があるだけに、裁判を起こすまでには至らず、泣き寝入りするしかなかった。
僻地のペンションなど、客が押し寄せ、繁盛するはずもない。廃墟と化すのに時間はかからなかった。
今でも村長は山賊村に居座っている。


※下記のURLは、山賊村に単独潜入を試みた猛者のブログ
http://blog.livedoor.jp/tokaimakai/archives/50190176.html
032 名無しさん (2011/04/24(日) 09:19:12 ID:N3w9.rmqMs)
     通夜島

和歌山県串本町大島に寄り添うようにある面積が0.3km2しかない無人島。
縁起が悪い島名だが、葬式とは関係ない。
三韓征伐で知られる神功皇后が忍熊皇子(おしくまのみこ)に謀反を企てられ、
この島に身を隠したときに住人が夜を徹して見守ったところから通夜島と名づけられたという言い伝えがある。
033 CentroDestra (2011/04/24(日) 13:57:28 ID:f5Punyj9Mc)
>>23-24
その話読みたかったんだ。ありがとうSさん。
034 名無しさん (2011/04/24(日) 14:13:49 ID:Y6KhihCOxw)
>>31
近所だがそんな話、聞いたこともない
035 名無しさん (2011/04/24(日) 15:09:44 ID:N3w9.rmqMs)
>>33
どういたしてまして。
お久しぶりです。諸星大二郎のスレでも書き込んでましたね。
僕にはあなたが誰だか、ちゃんとわかってますよ。
036 名無しさん (2011/04/24(日) 20:54:31 ID:N3w9.rmqMs)
     人肉鍋の村「食っちゃった」

1945年2月、太平洋戦争末期に群馬と長野の県境に位置する尾沢村で起こった事件。
ただでさえ食糧難の時代背景にくわえ、山間部の痩せた土地である村で極貧生活をしいられていた家族がいた。
それが天野朝吉と、妻の秋子。2人は再婚同士ではあったが、ともに知的障害者だった。
また子供は4人おり、そのうち3人は秋子の連れ子で、一番年長(17歳)のトラが朝吉の連れ子だった。
トラも同じく、人と話ができないほどの重度の知的障害をもっていた。

夫の朝吉は怠け者でろくに仕事もせず、生活は日に日に悲惨な状況になっていくばかり。
秋子も内職をして家計を助けるほどの機転がきくわけでもなく、無為にすごしていた。
いくら戦時中とはいえ、山村ならば畑へ出て汗水を流して精を出せば、ヒエ、アワ、コンニャクぐらいは採れたものを、
近所から野菜くずを恵んでもらうなどして飢えをしのいできたにすぎない。

しだいに施しを受けていた近所からも見放されるようになる。
たった1本の大根が唯一の食料となったとき、秋子は夫がいない隙に決断する。

長女のトラは以前から持て余していた。重い障害をかかえただけでなく、図体ばかり大きいうえ飯は人一倍食べるし、
これまた家でゴロゴロするしか能がない。
食いぶちを減らすだけではない。その肉を食ってやろうと秋子の頭をよぎったのだ。

他の子供らを外に追い払うと、トラを絞殺。ノコギリと包丁で娘の身体を解体した。
ワタは庭先に埋め、バラした肉片を煮えたぎる鍋の中に放りこみ、残り少ない塩と醤油で味付けした。
鍋からは黄色い脂がアクとなって浮き出してくる。彼女は夢中になってそれを取り除き、なおも煮続けているうちに、
得もいえぬうまそうな香りが立ち込めてきた。

やがてすきっ腹をかかえて子供たちが帰ってきた。鍋を見て叫んだ。「かあちゃん、うまそうな鍋だな。なんの肉だ?」
秋子は満面の笑みを見せて、「ヤギの肉だべ。さあ一緒に食べよ!」と言った。

その後、終戦を迎え10月。村に戸籍調査に巡査がやってきた。空襲や移動などで、行方不明者の数が多かったせいだ。
巡査が天野家をたずねると、子供が3人しか見当たらない。
「長女トラはどこへ行った?」と巡査が問いただすと、秋子と朝吉は要領を得ない返事。
不審に思った巡査は署に連絡し、警部補を呼んだ。
警部補が取調べしたところ、天野夫婦の話が破綻だらけであることが発覚し、なおも追及。

頃合を見計らって、警部補は秋子を怒鳴りつけた。
「おい秋子! おまえウソをついておるな? トラはどうして殺害したんだ!」
秋子はビクリとし、しばらく言葉も出ず俯いていたが、やがて声をしぼり出し、こう言った。
「食っちゃった」

天野秋子は心神喪失を認められず、懲役15年の刑に処された。


※画像はイメージです。 
037 (2011/04/25(月) 03:32:13 ID:Mq1gTFJLPc)
削除(by投稿者)
038 名無しさん (2011/04/25(月) 15:22:13 ID:ISgApb4nNk)
312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:08:27.94 ID:0LIngHwWO
母の友人が二十年以上、○TAMA医科大学で看護婦で婦長かなんかをしているんだけれど
その人から聞いた話。○TAMA医科大学よりも人里離れた山奥に鉄格子のある建物で
奇形の人達を隔離して治療している施設があると言ってた。実際その人も行ったことがあると。
細胞の病気で複数の目がある人や、人間の容姿とは言えないような容姿の方が沢山いるらしい。


327 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:13:02.74 ID:9dujutiqO
>>312その話はガチだ


380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/06/27(金) 03:25:08.12 ID:BNtL6KHTO
>>312
うちのカーチャンが俺を産んだ時の入院中に、病院の隔離された部屋の近くで凄い奇形児見たって言ってた。
廊下の隔離部屋の近くにストレッチャーに乗せられてて、普通に赤ちゃんだと思って見たら奇形だったらしい。
隔離部屋から出てきた看護婦が慌てて、カーチャンを叱って隔離部屋に持ってったそうな。
隔離部屋は、冷暗室付近の階みたく一般人が立ち寄り禁止の一角で、カーチャンは迷って立ち入ったらしい。
冷暗室は別の場所だから、あの奇形は行きてた事になるからその後が気になる
出産入院中のママ友達はちゃんとした子供産んでたから、だれが母親だったのか気になる
ってカーチャンが言ってた。
039 名無しさん (2011/04/25(月) 15:26:26 ID:ISgApb4nNk)
夜、道に迷って入った集落があった。
すごい深い森のすごい急斜面に9軒ほどの集落があったんだが、
その集落の入る手前に大きな岩があって注連縄がされてあった。

その集落から先には進めないようだったので、引きかえしたが、
あとになって住宅地図でその集落のところを探すと、
家自体は地図には載ってるけど、世帯の名前や番地が書いてなかった。
(集落の地名は書いてあったが…)

上にあったレスでそういう集落は航空写真では修正されているとあったので、
googleで航空写真をみると山影で真っ黒くなってる。
その集落へ続く道はちゃんと写真に写ってるのにね。
040 名無しさん (2011/04/26(火) 07:22:56 ID:3/EMguLFmY)
[YouTubeで再生]
旧日本軍の基地へとつづく放射能漏れ?のトンネルがあって
そこで日本兵が今もいるらしい
041 名無しさん (2011/04/26(火) 08:33:22 ID:Y3i4Td3qno)
49 :天之御名無主:03/11/26 07:14
俺の実家あたりの村でわ
八月初旬の祭日に村人総出で
山道を登ります
峠にさしかかるとお祈りを捧げ
お社(道祖神?)の裏にある小路に入ります
この小路は草と木と岩に隠されており
一般人にわ決して見つけられません
しばらく歩くと森の中に小さな火葬場があり、土俵があります
消防らはそこで黙々と相撲をとります
大人も声援してわいけません
全員相撲を取り終えたら
行列を作り村まで無言で帰ります
途中でこの奇祭を部外者に見られたら村長が
「お馬周り二百石、大場宇兵衛様のお弔いで御座います」
と説明する。が、意味不明w
042 名無しさん (2011/04/26(火) 09:22:08 ID:Y3i4Td3qno)
>>21
芥川賞作家、堀田善衛が「鬼無鬼島」でクロ宗をモチーフに小説を書いてる。
http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20060810/p1
043 名も無し (2011/04/26(火) 12:00:16 ID:cQze0Rqkl6)
新島。かいなんほうし。
044 名無しさん (2011/04/27(水) 10:19:37 ID:mfJgqEOrRM)
     ハンセン病患者を隔離した島

明治時代から最近まで、伝染病患者を収容する施設が全国あちこちに存在したのは知られているが、
まるごと隔離施設として使われた島がいまだにある。それが香川県高松市庵治町にある大島だ。
高松港から8キロ先の沖合いに浮かぶ、大島とはいいながら面積わずか61ヘクタールほどの小さな島にすぎない。
そこに国立ハンセン病療養所、『大島青松園』が建っている。
過去に、ハンセン(らい)病患者が収容とは名ばかりに、隔離施設として使われてきた負の歴史があるのだ。

ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌が末梢神経細胞内に寄生することによって引き起こされる病。
顔面や手足などの変形を伴うことから偏見の目で見られ、患者たちはいわれもない差別を受けてきた。
かつては効果的な治療法がなく、空気感染する(現在では完治でき、感染力も非常に弱いことが明らかになっている)と恐れられたことから、
日本全国に13か所の国立療養所と2か所の私立療養所がつくられ、患者たちは無理やり押し込められていたのだ。

大島への交通手段は、庵治町と大島青松園間は専用フェリーが運航しており、無料で行き来できる。
今でこそ往来は便利になったとはいえ、1907年に開園して以来、長きにわたって島と外部との接触は制限されてきた。
島に『隔離』されたまま人知れず息を引き取った入所者は2000人を下らないといわれており、いかに大島が、
刑務所並の厳重な管理体制が敷かれていたかが窺える。
以前はこの島から脱走できないよう、施設の周囲は有刺鉄線で張り巡らされ、財産もすべて没収されたうえ、
代わりに大島内でしか使用できない特殊通貨(主に貨幣)が支給されていたという。

現在でも、大島では50歳から100歳までの患者が200人近くが入所している。2004年度の調べで平均年齢が76.5歳。
高齢化が進み、年々老衰で亡くなる人の数が増える一方だそうだ。

必要な治療を続けるかたわら、各々が自由な暮らしを送ることができる。
ここでは早朝5時から一日の生活が始まる。元気な者は朝から農園へ出かけ、畑仕事に精を出してもよい。
8時の朝食を終えると、治療したい人は治療棟へ出かけて傷の手当てを受け、リハビリ室で運動したりして、
11時ごろには部屋に戻ることができる。
反対に、身体が不自由な人は午前中に職員の介助で入浴し、元気な人でも午後から共同浴場へ行ける。
(ハンセン病の民間療法として、入浴と熱を加える治療法がある。その昔、草津の湯がハンセン病に有効成分が
含まれ、全国から患者が集まったことがあったらしい。全生病院では、『風呂場外科』という科も存在する)

12時の昼食を終えると、リハビリや百寿会、クラブ活動(ゲートボールや手芸・陶芸など)に参加したり、
職員の付き添いつきで散歩に出かけたり、畑仕事の続きをしたりして、各自自由にすごすことができる。
午後4時に早めの夕食をとったあとは、ラジオ、テレビに興じ、8時には床に就くという規則正しい生活を送っている。
045 名無しさん (2011/04/27(水) 10:20:34 ID:mfJgqEOrRM)
2001年に国が隔離政策は誤りだったことを正式に認めるまで、そして罪を後世に残さない意図で、
書物による記録が残されていないので今となっては過去に患者たちがどんな扱いを受けてきたのか知るには
直接、聞き出すしか術がない。

昔の患者の扱いはひどいものだった。
治療は二の次で、『楽土建設』という名目で患者たちは重労働を強いられた。
乏しい食料費を自分たちでまかなうべく自給自足の農作や畜産。
住まいも6畳間に夫婦が仕切りなしで2組生活させられ、単身者の場合だと12畳に8人が押し込められた。
れっきとした国の医療機関であるにもかかわらず、医者や看護婦の数が足りず、注射は患者同士で打ち、
身体が不自由な者の世話も、元気な患者が交代で行わなければならなかったほどだ。

施設内には『監禁室』があり、言うことを聞かない患者が収容された。
とりわけ一番の罪は逃亡罪であり、たとえ内地にいる親の死に目に会いたくてもご法度とされた。

人権侵害の最たるものが、患者同士、夫婦になることを認められるこそすれ、有無を言わさず強制断種手術を施され、
子供を生むことは許されなかったことだ。
祖国浄化の名の下に、天皇の赤子として『健康であること』がすなわち『日本民族』の条件とされ、
障害者や病人は植民地政策になんの役にも立たない国の邪魔者とされ、人として認められず、強制隔離もやむなしというわけだった。
病む者がすがるべきは『療養所』であるのに、罪人としての扱いを受け、まさに国辱として社会から抹殺するかのようだった。

島の南端は断崖絶壁で、そこは自殺の名所だった。
当時の入所者は将来に絶望し、毎日のようにここから身を投げたらしい。


※画像は当時の名残をとどめる監房跡。
046 名無しさん (2011/04/27(水) 11:44:04 ID:mfJgqEOrRM)
[YouTubeで再生]
1996年に『らい予防法』が廃止され、 2001年には『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟で原告が勝訴し、
国は控訴を断念し判決が確定した。
これを受けて、退所者給与金制度などが設けられた。しかし、「せめてもう10歳若かったら社会復帰も考えないではないが、
もうこの歳になると……」とか、「今になって帰ってもよいと言われても、親はすでに亡くなっており、兄弟姉妹もかなりの歳であり、
また子供もいないので、帰るところがない」といった入所者の声がある。
いずれにせよ、入所者たちは歳をとりすぎた。

それに加え、2003年11月に起きた熊本県の黒川温泉のホテルによる療養所入所者の宿泊拒否や、
それをめぐって入所者に向けられた誹謗・中傷の電話や手紙などの背景があったことから、
世の中には、いまだハンセン病に対する理解が得られておらず、偏見・差別などが根強く残っていることを再認識せざるを得ない。
さらに、ハンセン病による後遺症としての重複した障害があることなどにより、医療に対する不安もあり、
社会復帰はほとんど進んでいないのが現状だ。

大島で亡くなった患者たちの亡骸は、本州を見渡せる高台にある慰霊塔に葬られる。
慰霊塔『風の舞い』は、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、
平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメント。
2つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられている。
亡くなっても故郷に帰れない人がほとんどだった。
せめて死後、魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いがこめられているという。


※動画は、東村山にある国立ハンセン病療養所多摩全生園から、元患者が68年ぶりに帰郷するもの。参考に。
047 (2011/04/27(水) 11:52:37 ID:mfJgqEOrRM)
削除(by投稿者)
048 名無しさん (2011/04/28(木) 09:15:32 ID:mqrJMGuRWQ)
「泥棒村」でググるべし。
いろんな意味でここで書くことが憚れる。
049 名無しさん (2011/04/28(木) 20:30:35 ID:E0lZcnE5yA)
御蔵島 [忌の日の明神]
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。
050 無名しさんrebirth (2011/04/28(木) 21:24:41 ID:rqL4eCPGe2)
ごめん。猪木が赤いタオル首にかけて、あのテンションで歩いてるところ想像しちゃった。
051 名無しさん (2011/04/29(金) 08:47:14 ID:mZdZCoHGjI)
     訳ありの者たちが流れ着く島と流刑村

屋久島と奄美大島の間には、北東から南西にかけて点在する島々がある。有人島が7つと無人島が5つ連なり、
これをトカラ列島と呼ぶ。トカラ列島すべての島は、鹿児島県鹿児島郡十島村の行政区域となる。

人口は全島で1000人にも満たないほどの過疎地帯。交通手段は、たった一隻の村営フェリー『としま』が、
鹿児島と奄美大島の間の島々を週2回往復するだけ。病院といえば、小さな診療所こそ全島にあるものの、
手術を要する急患の場合、鹿児島にある自衛隊鹿屋基地からヘリコプターが飛んできて、患者を鹿児島の病院まで運ぶしかない。
どの島にもヘリポートは必須ということになる。

さて、トカラ列島のS島にはいわくつきの村がある。S島はこれといって観光名所があるわけではない。
集落の外れにバブル時代に建てられ、廃墟と化したリゾートホテルがあるのだが、ここへは迂闊に足を踏み入れてはならない。
廃墟では、訳あり連中が共同生活をしているというのだ。……片腕のないカタ〇、背中に刺青の入った者、小指が欠けているなんてザラ。
『組』から絶縁を言い渡され、本島から追放された元やくざたちが最後に流れ着く島がここなのだ。

もちろんS島には純粋な島民も暮らしているが、最近では流刑人の数の方が多いらしい。
052 名無しさん (2011/04/29(金) 08:51:55 ID:mZdZCoHGjI)
     悪石島(あくせきじま)とプリミティヴな異形の神ボゼ

鹿児島トカラ列島にある悪石島。なんてオドロオドロしい島名だろう。
『悪』とつく地名は他に類を見るまい。たしかにこの島の周囲は断崖絶壁となっており、海に向かって石が転がり落ちることから
名づけられたともいう。トカラ列島には平家の落人伝説が残されている。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、
『悪石』と呼んで近寄り難くしたとの説もある。
 
この島には、現代文明では考えられないような風変わりな伝統行事がある。
旧暦の7月7日から16日まで盆踊りがあり、最終日に太鼓の音が響き渡ると島の古老がこう叫ぶ。「ボゼが出っど!」
それを合図に、『仮面神ボゼ』なる不気味な衣装に身を包んだ島民が3人が登場し、幕引きの役目を担うのだ。

画像が問題のボゼだ。
いかがだろう? とても現代日本では考えられないような出で立ちではないか。
赤土と墨で塗られた奇怪な仮面をかぶり、ビロウという葉の腰ミノを巻き、手首や足にシュロの皮をあててボゼに扮している。
手にはボゼマラという長い棒を持っており、それを振り回しながら人々を追い回すのだ。

盆になると、先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るといわれている。その悪霊を追い払い、新しい世界へと導くのがボゼ神の役目だ。
まさしく悪石島だけの(人口は100人にも満たない)奇習であり、マニアックな嗜好の観光客を呼ぶ英雄的存在でもある。
民俗学者の間では、パプアニューギニアやインドネシアなどの祭に出てくる神の姿と酷似していることから、
起源を南方系から流れてきたのだとする説があるが、いまだ確証は得られていない。

秋田のナマハゲを彷彿とさせるものの、関連はないらしい。ナマハゲと決定的に違うところが1つある。
それがボゼマラによる突っつき攻撃だ。『マラ』から連想できるようにペニスの象徴で、棒の先端も心なしか亀頭の形をしている。
ボゼが登場するとともに、念入りに女子供が追いかけられ(本気で泣き出す子供もいる)、赤土の泥がついたボゼマラで突っつかれる。
泥がつけられた女性は子宝に恵まれ、子供の場合は健康に育つといわれている。
おっかない姿ではあるけれども、島民にとっては歓迎すべき神様なのだ。
祭のクライマックスでは悲鳴と泣き声、歓声に包まれ、楽しく幕を下ろす。
053 名無しさん (2011/04/30(土) 03:55:18 ID:EyBzF7dL0g)
47 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:26:53  
145 名前: 避け地って 投稿日: 1999/12/16(木) 16:51
本当にあるよ 和歌山の山ん中、田辺市から熊野のほうにずっと入った所
親戚のばあちゃんから聞いた
140さんの書いたような理由で放置された部落があるって言ってた。
戦後、町に出てきたその部落の人がいたそうだが、よってたかって殴り殺され、
死体は焼かれたという事 田辺界隈の老人のあいだではタブーになってる話だ
今もその部落は残ってるが、やはり自給自足で10世帯があるかないからしい
(30年くらい前のうわさで)
電気もなにも無く、行くには国道から(和歌山の山深い国道は、舗装もしてない所多い)
けもの道に入り、1000メートル級の山を越えなくてはいけないという事だ。
このほかにも数ヶ所あるらしい

知ってるかぎりでは、福井県敦賀市の山奥にもそれらしい村がある、
そこは「部落民以外はこの奥入るな!」とかんばんが立っている
入らずに、入り口で車を止めてただけなのに
奥からあらわれた血走った目のおやじ数人に追い払われた(実話)
054 名無しさん (2011/04/30(土) 03:58:48 ID:EyBzF7dL0g)
57 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:30:14  
153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20

140の者です。
「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の
「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、
自給自足をしていたのは20年ほど前までです。
彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。
小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。
安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。
055 名無しさん (2011/04/30(土) 06:11:31 ID:3PfA2lhi/k)

巌流島とかどう?

対馬の化物島とか
056 名無しさん (2011/04/30(土) 12:28:08 ID:WOKrW9s2xs)
対馬は美女村だな。

美女塚伝説異聞
http://www1.ocn.ne.jp/~kurose/minwa05.htm(音量注意。このサイトは音楽が流れてる)
057 (2011/05/01(日) 19:27:36 ID:pcMaqOjNFU)
削除(by投稿者)
058 (2011/05/02(月) 03:10:57 ID:AMSNQJG4GQ)
削除(by投稿者)
059 霧の中のジョニー (2011/05/02(月) 03:12:38 ID:AMSNQJG4GQ)

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兵庫県淡路島
古くは“阿波路”と書き、文字通り畿内から阿波の国へ渡る中継地であった

それは、死国(しこく)へと誘う島でもあった・・・
四国八十八箇所巡礼の旅とは生への執着を捨て殺す旅でもあり、
四国に赴く巡礼者たちは皆、明石海峡を渡り鳴門海峡に至るまでに浮世の未練を捨て去ったと云う
己殺(おのころ)島と呼ばれる所以である・・・

はじめにイザナギとイザナミはこの世に地を創った
淡道之穂之狭別の嶋(あわじのほのさわけのしま)、即ち淡路島である・・・

はじまりにして終わりの地
淡路には、嫁の出産時に村の長老が棺桶を持参して赤子の誕生を祝う習わしがあるという
この地で生まれた赤子が天寿を全うし、再びこの地に眠るという願いをこめた風習であり、
現在も淡路各地で行われているという・・・
060 名無しさん (2011/05/02(月) 09:11:47 ID:S.erbHXoe6)
[YouTubeで再生]
     ニライカナイに近い神の島

沖縄の久高島と来れば、神秘の神事『イザイホー』が有名。
琉球伝説で知られる『ニライカナイ』とは、あの世、常世の国、どこかにあるはずの理想郷として
沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地の人々に今もなお伝わる概念だ。
そして久高島こそ、もっともニライカナイに近い島だと信じられている。

イザイホーとは12年ごとに訪れる丑年の旧暦11月15日から4日間執り行われる行事。
島の女性たちが神女になれるかどうかが試される通過儀礼であり、選ばれた神女はその他の祭祀を一任させられるという。
イザイホーに参加できる女性は、『ナムチュ』と呼ばれ、細かく厳しい条件を必要とする。
そしてさまざまな通過儀礼を経て、晴れて祖母霊と呼ばれる霊力を授かるのだ。

史料に記録される限り600年以上の歴史を持ち、来訪神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留めているとされ、
多くの学者の関心を集めて、1966年、1978年のイザイホーには、本土からも多くの民俗学者、取材陣が久高島に駆けつけた。
しかしながら現代では島の過疎化が進み、1990年はナムチュの条件を満たす女性の不在と、
儀式の段取りをもっともよく知る久高ノロウメーギ(神職名。久高ノロの補佐役)の逝去のために行われていない。
2002年もナムチュになる女性の不在などの問題により中止され、1978年を最後に現在に至るまで行われておらず、
その存続が危ぶまれている。
http://www.kudakajima.jp/ima/index.html
061 名無しさん (2011/05/02(月) 12:01:41 ID:S.erbHXoe6)
     軍艦島に寄り添う火葬用の島

長崎県端島と言えば、キング・オブ・廃墟として知名度の高い、通称『軍艦島』だ。
かつては日本でも屈指の良質な炭鉱が存在し、ピーク時には約41万トンもの石炭を産出した。
我が国の高度成長期を支え、時代とともに風化していったのは周知であろう。
当時、世界一の人口密度を誇った東京に比べ、優に9倍以上もの5000人を超える炭鉱夫とその家族、そして商売人たちが生活していた。
端島には炭鉱施設や住宅のほか、銭湯、小中学校、病院、寺、映画館、理髪店、美容院、パチンコ店、雀荘、スナックなど……
ありとあらゆる店舗・施設がひしめき、島内だけで完結した都市機能がそろっていたといわれる。
(もっともその栄華も、主要エネルギーが石炭から石油に取って代わられると1974年を最後に見捨てられる)

光あたるところに影あり。炭鉱都市として設備が整った島でありながら、意図的につくられなかった施設があった。
それが火葬場と墓場だった。物理的に土地が足りなかったせいでもあるが、死と隣り合わせの炭鉱夫にとって、
マイナスをイメージさせるそれらは忌避され、ひっそりと端島の北に位置する中ノ島に設けられた。

現在、中ノ島には、端島と同じく炭鉱施設と思われるレンガ造りの構造物、展望台跡、公園跡、納骨堂跡、火葬場跡などが残っている。
長崎市により管理されている端島は立ち入り禁止区域があるが、中ノ島は誰でも上陸することができる。
ここも>>5>>6の縦島・横辺島と同じく釣り人がよく訪れるそうだ。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/dcd595be47473cfe3116ee6b152430d9
062 名無しさん (2011/05/02(月) 13:12:10 ID:S.erbHXoe6)
     平野仁右衛門さん一家だけが住む島

仁右衛門島(にえもんじま)は千葉県房総半島南部、鴨川市の沖合200メートル向こうにある個人所有の島だ。

代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主で推定38代目。なんと800年以上前から襲名してきたことになる。
治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れたあの源頼朝が安房に逃れたとき、初代仁右衛門に助けられ、
この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったという伝説が残っているのだ。
命を助けてもらったお礼として、頼朝はこの島一帯の漁業権を初代仁右衛門に与えて以来、
現在に至るまで平野一族がこの島を守り伝えているという。

現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたもので、観光客にも公開されている。
http://niemonjima.web.fc2.com/newpage1.html
063 名無しさん (2011/05/02(月) 18:05:28 ID:S.erbHXoe6)
[YouTubeで再生]
ボゼは可愛い。
064 名無しさん (2011/05/02(月) 21:21:16 ID:S.erbHXoe6)
     泥仮面パーントゥはヘドロくさい臭気をプンプンさせて襲ってくる

旧暦9月の初めに、沖縄の宮古島では重要無形民俗文化財に指定されていながら、奇想天外な悪魔払いの伝統行事がある。
島尻地区の青年が3人選ばれ、パーントゥと呼ばれる泥神に扮し、新築の家や新生児の生まれた家々を主に回るのだが、
道中出会った人や車にも泥を塗りたくるという奇祭だ。
この泥には悪霊が憑くのを防ぎ、無病息災をもたらすありがたいものだという。
その祭りの賑々しいこと。パーントゥ役の青年たちも、したたか酒を引っかけているので足取りもおぼつかない。

パーントゥのビジュアルは強烈だ。不気味な面を片手で顔を隠し、『キャーン』と呼ぶ蔓草を全身にまとい、しかも泥でズブ濡れの状態で徘徊する。
しかも実際は、聖なる井戸に沈殿した泥を塗りたくっているのだが、これがヘドロのニオイそのもので鼻が曲がりそうなほどクサイ。
祭りに際し、地元住人はもとより、近年では観光客が押し寄せ、集落は人でごった返しているのものの、
誰彼かまわず容赦なく抱きつき、相手の顔にもべったり塗りつける。
065 名無しさん (2011/05/02(月) 21:22:23 ID:S.erbHXoe6)
木製の3つの面は微妙に表情が異なり、呼び名も違う。眼が鋭い顔が『ウヤ(親)パーントゥ』、優しい顔立ちの『ナカ(中)パーントゥ』、
そし童顔の『ツファ(子)パーントゥ』である。
この3つの面はそれぞれ異なる3軒の家が先祖代々から保管しており、パーントゥプナハ(祭りの正式な呼び名)が開催される以外は
人目に触れることがない。学者や研究者とて例外ではなく、部外者が手に取って観察することすらできない神聖なものなのだ。

http://www.churashima.net/shima/miyako/pantoo/index.html
066 名無しさん (2011/05/02(月) 22:39:42 ID:S.erbHXoe6)
[YouTubeで再生]
泥を塗りたくられて、誰も怒る人はいない。(幼子が泣き喚くのは無理もないが)
歓声が沸き起こり、祭りの夜はみんな楽しそうだ。
067 mari (2011/05/04(水) 05:47:04 ID:nY6nGufZ6s)
子供の頃に「亡夫岩」だか「失夫岩」だか名前はよく覚えていないのだけど、周囲に何も無い海のど真中に異様に不気味な岩があって、非常に怖かった記憶がある。
068 mari (2011/05/04(水) 19:09:42 ID:nY6nGufZ6s)
孀婦岩だった

高さ約100m
069 名無しさん (2011/05/09(月) 16:05:06 ID:/vZuJx6WOQ)
[YouTubeで再生]
     人々をニライカナイへ導くために……ミルク神     

日本最南端の有人島が沖縄の波照間島だ。
波照間島のみならず、沖縄八重山諸島では旧盆の中日(旧暦7月14日)になると、『ムシャーマ』が執り行われる。
『ムシャーマ』とは島全体が3組にわかれ、島の中央にある広場に向けて島民らが仮装行列で歩く祭りだ。
この行列の先頭に立って、人々を先導するのがミルク神の役である。
ミルク神はユーモラスな表情の白い仮面を被り、黄色い着物に身を包み、ゆったりと練り歩く。
まわりには子供たちが付き従っているが、それはミルク神の子供だとされている。

ミルクとは弥勒が沖縄訛りになったものであり、本来の弥勒とは信仰の対象が大きく異なる。
弥勒の場合、釈迦入滅後56億7千万年後に仏陀になることが約束された未来仏なのに対し、
ミルクは過去にあった理想的な豊穣の世の中という意味だからだ。

『ムシャーマ』の本質は五穀豊穣に感謝し、次の夏の豊作を祈願するための豊年祭なのだが、
この祭りはホンワカした穏やかな雰囲気があり、微笑ましい。
http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/miruku.html
070 名無しさん (2011/05/09(月) 16:06:44 ID:/vZuJx6WOQ)
仮面を被ったのがミルク。
071 名無しさん (2011/05/09(月) 20:08:55 ID:ZyPpNPCbW6)
>>21
その塀は高さ1.9mですね。

>>52
ロボッツって映画に出てくる適役の悪い母親に似てる気がする・・・。
072 名無しさん (2011/05/09(月) 20:17:24 ID:/vZuJx6WOQ)
     ままこ伝説

沖縄県宮古諸島にある下地島の『通り池』にまつわる話。
通り池とは2つの池が相接し、天然の橋によって通じている。東北側が直径約55mで水深約25m、
南西側が直径約75mで水深約25mあり、直径約10mの洞穴で海と通じており、両池は潮の干満で水深が変化する。
名勝地としても知られているが、濃紺の水をたたえた不気味なところだ。現在では自殺の名所としての側面を持つ。

この通り池には、地元の人は誰も近寄らないという。
誤って池に落ちようものなら、水面から地上まで10メートルもの絶壁で囲まれているため、
自力で這い上がるのはほぼ不可能だし、いろいろといわくがあるため躊躇させるのだろう。
この池には、継子と間違えて実子を池に突き落としたという伝説が残されている。

その昔、伊良部島に母と幼い息子2人が暮らしていた。弟の方は実子なのだが、兄は継子だった。
よくある話で、母は実子である弟ばかりを寵愛する一方、兄は軽んじ、憎しみすら抱いていた。
そんなある日、母は3人で散歩に行こうと誘う。子供たちは喜んで母のあとに。ついていった先が、例の下地島の『通り池』だった。

池のそばで昼食をとったあと、3人はうたた寝してしまった。真っ先に母が気づいたときには周囲はすでに日が落ちていた。
そのとき、彼女は積年の感情を噴火させる。
膝枕で寝かせていた弟を起こさぬよう下ろし、池のそばで顔を伏せて寝そべっている兄を抱きあげると、
池に放りこんでしまう。
すぐさま弟のもとへ引き返し、眠りから覚まそうと身体を揺さぶった。

だが、月明かりに照らされたのは、弟ではなく兄の方だった。
兄は母に疎ましく思われていたのは承知しており、いつかは殺害されるのではないかと予測していた。
母が寝ていたスキに弟の服をすり替え、弟に化けて寝たフリをしていたのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%B1%A0
073 名無しさん (2011/05/11(水) 00:16:11 ID:gR.Xs8ZHCY)
     南海の最果てに常世の国を求めて……補陀落渡海(ふだらくとかい)

微妙にスレチだが、ニライカナイつながりで取り上げておきたい。 

奇習……というと、当時の人の切実な願いを愚弄することになるので、オドロオドロしく語るつもりはない。
和歌山県那智勝浦に補陀洛山寺という天台宗の寺がある。補陀落渡海の発祥の地とされた根本道場だ。
紀伊山地の霊場の1つとして世界遺産に登録されている。

補陀落渡海とは、南海のかなたには補陀落浄土(常世の国・あるいはニライカナイを指したのであろう)があるとされ、
平安から江戸時代にかけて、この寺の代々の住職が生きながら船出し、往生する行のことを指した。
捨て身の行である即身仏に近い発想かもしれない。

南方にのぞむ海岸に、渡海船と呼ばれる小型の屋形船を浮かべて、住職や志願者である行者がたった1人で乗りこみ、そのまま沖に流すというのだ。
船には櫓、櫂などの動力装置はなく(せいぜい慰み程度の帆がかけられている。それも「南無阿弥陀仏」と書かれており不気味だ)、
出航したら最後、海流に乗って漂流するだけとなる。
しかもそれだけじゃない。キャビンに閉じ込められたうえ、外に出られないよう戸板で釘を打ち付けられた状態で船出するのだ。
つまり棺桶船である。その閉所の中で、住職や行者はえんえん念仏を唱え続けなければならない。
船内には1か月分の水と食料が備蓄されているが、そんなものは焼け石に水。
いずれ餓死するか、高波にでも襲われ転覆、海の藻屑と消えたことは想像に難くない。

寺の住職は60をすぎると渡海に行くよう風習化されていた。
もし、生に未練があって渡海しない者は、信者らに後ろ指をさされたという。
16世紀には渡海に出た金光坊という僧が、途中で屋形を破って逃げ出し付近の島に上陸したものの、
すぐに捕らえられて海に投げ込まれ死亡した事件もあり、この風習は廃れていった。

今でも補陀洛山寺の境内には渡海船の原寸大の模型が展示されており、間近で見学できる。
4つの鳥居がキャビンを取り囲むようにしてついた屋形船は異様な佇まいを見せている。
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/fudaraku/tokai.html
074 名無しさん (2011/05/11(水) 00:17:34 ID:gR.Xs8ZHCY)
[YouTubeで再生]
ホイ、これ補陀落渡海の動画。
075 名無しさん (2011/05/15(日) 09:50:29 ID:OivVUtbIWg)
兵庫の煙島には触ると祟られるという首塚があるよ。

平安時代、源平合戦の際に平家の武者がこの場所で首を切られた。で、ここで焼いたらしい。
そのときに煙が立ったことから煙島という。首塚に触れたら祟りがあるそうな。
076 名無しさん (2011/05/20(金) 07:48:48 ID:TubBZxCTN.)
良スレ!!!
>>10 勉強になった

日本神秘すぎだろw
077 (2011/05/20(金) 10:23:30 ID:MQFSsWkJwE)
削除(by投稿者)
078 (2011/05/20(金) 10:59:31 ID:MQFSsWkJwE)
削除(by投稿者)
079 名無しさん (2011/05/20(金) 15:09:10 ID:MQFSsWkJwE)
     海賊キッドの財宝が隠されているかもしれない島

世界中の海を股にかけ、暴れまわったウイリアム・キッドこと海賊キャプテン・キッドが
日本の離島に財宝を隠したという伝説は多い。

ウイリアム・キッドのWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89

鹿児島県トカラ列島の有人島である宝島
http://home.f01.itscom.net/yaeno/Cap.Kidd05.html

沖縄県宮古諸島の北部にある大神島
http://www.okinawainfo.net/miyako/oogami-douro.htm

なかなかロマン掻き立てられる島なのだが、やはり過去にはトレージャーハンターを夢見て島へ入り、
めぼしい洞窟内を荒らした観光客が後を絶たなかったそうだ。

特に沖縄の大神島は地元では神聖な島と崇められ、明治の頃まで風葬をおこなってきた歴史がある。
大神島の場合、風葬は風通しのいい島の洞窟で遺体を放置するのだ。
海賊キッドの財宝は、こういった人が近づき難いタブーのエリアに隠されているのではないかと推測されている。
お宝が見つからず、代わりの記念品として頭蓋骨を持ち帰った者もいるとのこと。
むやみに島を荒らすべきではない。
080 名無しさん (2011/05/21(土) 10:40:26 ID:1NwzBfnOEI)
     七不思議 どこにも墓がない島

山口県柳井市から瀬戸内海に延びる大島大橋を渡ると、瀬戸内海に広がる周防大島諸島が見える。
そのなかでも、もっとも人口が少ない島が笠佐島(かささじま)だ。

その笠佐島には不思議なことに墓が存在しない。墓どころか寺すらないのだ。
では故人をどこに葬るのか?

人が亡くなると今日の日本では火葬場で荼毘に付すのが一般的な慣わしだが、
なんと笠佐島では畑が広がる野外の広場に運び、そこで野焼きにする習慣がいまだに続いているという。
しかも焼き終えたあと、灰と骨になった遺体はそのまま野ざらしにしておくのが島のやり方なのだ。
供養らしい供養といえば、わずかな骨のひとつまみを京都にある大谷本廟に納骨するだけだ。
当然、島に墓がないとなると、お盆やお彼岸に先祖の墓参りをするといった習慣もない。

笠佐島の人たちは無宗教なのか?と思いがちだが、むしろ熱心な浄土真宗の信者ばかりだという。
そもそも遺骨の一部を納める京都の大谷本廟も浄土真宗の墓地だったりする。
これは阿弥陀如来に一心に帰依し、それ以外の神仏、儀礼や風習を「気にしない」浄土真宗の教えから来ている。
したがって墓や葬儀などはいらないという発想なのだ。
このような風習ゆえに、いつのころからか周防大島と周辺地域では浄土真宗の信者は『かんまん宗』と呼ばれるようになった。

山口県の方言に「かんまん」という言葉がある。
「かまわない」が訛ったのは言うまでもあるまい。
小っちゃなことは気にしない。実はおおらかな心をもった懐深い風習なのだ。

http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a123003/island/kasasajima.html
081 名無しさん (2011/05/21(土) 16:31:52 ID:tQC3BoFMjY)
>>80

山口でそれよりもっと不思議なのが「黄色いガードレール」だと思う。
082 うぇい (2011/05/25(水) 15:56:48 ID:CVLV/to4b2)
>>81
名物の夏みかんの色にして来客にアピールしてるだけ
083 名無しさん (2011/05/25(水) 18:45:13 ID:6VNKJZ9hgQ:DoCoMo)
夢がないこと言ってやんなやw
084 名無しさん (2011/05/26(木) 19:32:24 ID:nAgEH1iUoM)
「鬼血骸村」

頭のおかしなオジサンが屋敷の周りをゴミのようなオブジェで飾り立てている謎の地区
085 名無しさん (2011/05/26(木) 19:50:31 ID:UvKMTFCiPc)
>>44
もろ地元だな
小学生の時に交流会?かなにかで行ったけど、気さくなじーさんばーさんだったよ

手紙をもらって、その内容は島で祭りがあるからまた会いましょう!って感じだった
その人はハンセン病で手が固まってて、手の代わりに口にペンをくわえて書いてたんだよ
結局祭りに行く事はなかったんだけど、あの人はもう亡くなってるんだろうか
もう名前も思い出せないし、手紙もなくしてしまった
本当に後悔している

自分語りスマン
086 名無しさん (2011/05/27(金) 23:29:50 ID:D3T9Fo39VQ)
>>85
貴重な体験談、ありがとうございます。
こんな離島は、現地へ行って、見て聞いてナンボ。

>>44~46まで、長文タレ流しただけの甲斐がありました。
087 名無しさん (2011/05/27(金) 23:33:13 ID:D3T9Fo39VQ)
     猫だらけの島 犬を飼うのはタブー

宮城県石巻市牡鹿諸島に浮かぶ猫の楽園ともいうべき島、それが田代島。
フジテレビの朝の情報番組から派生したDVD『にゃんこ THE MOVIE』の舞台に選ばれ脚光を浴びると、
瞬く間に愛猫家の注目の島になった。
島民の約8割が漁業に従事している。漁村に猫はつき物だが、肝心の島民よりも猫の数の方が多いのもめずらしい。
もっとも人口は約110人で、その他の離島の例に漏れず、高齢化、過疎化が進んだ限界集落だ。

興味深いのが田代島の化け猫騒動だろう。
江戸時代後期の話である。
海も穏やかな日暮れどき、牡鹿半島の対岸からの渡し舟に、編み笠を深くかぶった武士姿の男が乗り合わせ、田代島に渡ってきた。
舟が二斗田の浜に着くと、男は船頭に船賃を渡すや否や、たちまち姿を消してしまった。
その直後、田代島では数々の異変が起こった。
集落では夜ごと青い怪光が現われ、その光を目にすると、恐怖のあまり寝込む者が相次いだ。
さらには家々で飼っていた犬が片っ端から喉を噛み千切られて殺され、島は騒然となった。

しばらくして、怪異の正体を目撃した者が現われた。
証言によれば、犬を殺したのは秋田犬より大きな虎毛の怪猫であり、カヤを両脇に倒しながらのっしのっしと歩いていた。
また、浜に置いていた50㎏もあるマグロを山中に引っ張っていって食っていたという。
その怪猫を見ただけで、言葉を発することもままならなくなるほどの病に冒されると噂され、怪猫の話を口に出すことそのものが禁忌とされた。
なぜ田代島にこの化け猫がやって来たのかは誰もわからなかったが、犬が殺されてからはこの化け猫騒動が静かになったので、
機嫌を損ねないように、島にいた犬をすべて殺したといわれる……
http://portal.nifty.com/2009/09/09/c/


牡鹿諸島といえば先の東日本大震災の被害が懸念される。
やはり田代島も10mクラスの津波に襲われたらしく、海岸周辺部の建物は甚大な被害を受けている。
当初、島民の1人が行方不明だったが、その後の調べで本土へ渡っていたそうで無事が確認された。

震災直後の猫好きの2ちゃんねるのスレッド(田代島関連の板)では、島民そっちのけで猫の安否を気遣う書き込みが目立ったのは、
あえて言うまい……
088 (2011/07/11(月) 08:12:36 ID:eEBPJTkNVM)
削除(by投稿者)
089 名無しさん (2011/07/12(火) 02:06:03 ID:5HsChaL5mE)
とりあえずage
090 名無しさん (2011/09/13(火) 17:36:48 ID:FnFITxxC9g)
ためになるね~!
091 名無しさん (2011/09/15(木) 19:12:25 ID:XC8JLtA/eI)
57 :番組の途中ですが名無しです :2006/01/09(月) 18:30:14  

  153 名前: トトメス 投稿日: 1999/12/17(金) 11:20

  140の者です。

  「避け地」に対する食料物資搬送は主に航空自衛隊(離島の場合は海上自衛隊)の

  「特殊救難隊」が行っている(いた)ようです。「避け地」の人々は高齢化が進んでおり、

  自給自足をしていたのは20年ほど前までです。

  彼らのほとんどは「らい病」ですので、食料搬送と同時に、軍医(?)の診察も受けます。

  小説に出てくるような「排他的で、攻撃的な」部落はもう存在しません。

  安心して行って来て下さい。 犬鳴村なんか無いと思いますが・・・。

 

  154 名前: >140 投稿日: 1999/12/17(金) 12:58

  村の名前とかは教えられないの? 「避け地」で検索しても、なにもでてこなかったなー。

  

  155 名前: >152~154 避け地について(Ver.2) 投稿日: 1999/12/17(金) 19:00

  「らい病」についての「避け地」のことなら、何年か前に夜のニュース番組

  (ニュースステーションだったか?)の中で、特集を組んでやってたと思う。

  

  特集の中では「避け地」という言葉は使っていたかどうかは記憶に無いけど、

  昔「らい病」から国民を守る為に「らい病」ににかかった人を、

  ある特定の地域に隔離したという話だった。 今もその場所は残っていて、人も住んでいる。

  

  場所は確か瀬戸内で、本州の瀬戸内海の海岸寄りのどこかだったように思う。

  海岸というより離れ小島だったかな。 

  なにせ、何年も前の番組なもんで、あまりよく憶えていないんだ。

  だから、そういう地域がある事は確かなようだよ。 それに、そこの住民は温和な人だったよ。
092 名無しさん (2011/11/17(木) 10:46:19 ID:eS/FsYGz.s)
299 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 11:28:24.87 ID:XZBk9m760
20年前、人口100人くらいの島の人と、教授の研究のため何年もかけて交流したことがある。
祭りの時期に合わせて、1ヶ月泊まりで教授の聞き取り調査なんかに同行した。
でも、ほとんど島の子供と遊んでただけ。
なんにもない島で、島の半分がお墓だからということで、その部分には島の子供は絶対に近寄らない。
海がすごくきれいで、島と島の間に干潮時は道ができて歩いて渡れる、すごくキレイで夢のような場所だった。


302 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 11:38:06.89 ID:XZBk9m760
その島では奇祭があり、夜通し村の男の人がお面をかぶって白い衣装を着て、
太鼓のようなものを叩きながら、たいまつを持って村中を練り歩く。
教授から、「この祭りの夜は、絶対に一人で外に行ってはいけない」。
宿なんかないから、船着場の一室に寝泊りしていたんだけど、
「鍵をかけて、誰かきても絶対に入れたらいけない」と念を押されていた。
私たちの部屋には、一緒に行ってた男の子3人と、村の小学生の女の子2人と、私とあと二人の女の子がいた。
窓にはガラスが入ってなくて格子だけがあったから、外を歩いてる人の姿をちらちらと見ることはできる。

昼間に船に乗せて漁に連れて行ってくれたり、
他の日の夜に地元料理を教えてくれたりしたRさん(40代のおじさん・当時私は10代)の声で、
「部屋のドアを開けろ」と言われた。
シャワー室があったんだけど、そこの窓から手を入れたり松明を投げ入れられたりした。
やさしいRさんの変貌ぶりに、女の子みんなでガクブルしてた。
093 名無しさん (2011/11/17(木) 10:46:52 ID:eS/FsYGz.s)
303 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 12:03:43.98 ID:XZBk9m760
一人の女の子が、あまりの怖さに「教授とそのほかの男の子を呼んでくる!」と外に飛び出していった。
その子をTちゃんとする。
Tちゃんが飛び出していったあと、急いでドアを閉めて鍵をかけた。
Tちゃんはすごくかわいい顔をした子で、Rさんの狙いはTちゃんだったみたいで、
彼はTちゃんを追いかけていった。
Rさんと一緒に来てた何人かの男の人も一緒に追いかけていったから、船着場はシーンとなった。

村は車が入れないような狭い路地がたくさん入り組んでいるような場所で、誰かと鉢合わせすると逃げられない。
村には街頭なんかもない。村人が持ってる松明の明かりだけが頼り。
でもそのおかげで、松明の明かりがちかづくと人がいるってことで、
物陰に身をひそめてやり過ごすことができたんだそう。

祭りのクライマックスは、村の真ん中にある祠に祈祷師が入っていて、祭りの間中何かを祈念するんだけど、
その神託?が降りたら、村の女性みんなでその祠を囲って一晩中踊り狂う。
その間中、男たちは松明を持って村を歩いてる。

私はTちゃんが心配になって、男の子2人と一緒に外に出た。
そのとき陰に隠れてた村の人が出てきて、私を見て「チッ」と言ったのが印象深い。

祭りをにこやかに楽しんでいた教授は、部屋の外に出てきてたTちゃんを見つけて血相変えて怒ってた。
私たちも後で合流して、祭りが終わるまでTちゃんと私を、教授と男の子で囲んで座ってた。
お酒や料理をいただいて村人とほがらかに話してた男の子や教授を見て、
なんで部屋から出るなって言ったのかな?なんて思ってた。
でも、お面かぶった村人を、絶対にTちゃんや私に近づけなかった。
094 名無しさん (2011/11/17(木) 15:45:31 ID:aYeOx//4a.)
304 :本当にあった怖い名無し:2011/08/13(土) 12:04:43.27 ID:XZBk9m760
あとから教授と一緒に祭りに参加してた男の人に、
あの祭りのときは、男性が女性をむりやり犯してもいい日なんだと聞いた。
だから、女の子には外に出るなと言われていたみたい。
小学生の女の子は地元の子だったけど、
そういえばその子たちのお母さんたちは、深刻な顔でうちの教授に頭を下げていたの思い出した。

怖いのが、その祭りの日に身ごもった子供は、
名前も付けられずに戸籍も作られずに、島の半分のあるところで育てられて、一生差別されて生きるとか。
狭い島で、上も下もなく人がみんな50歩100歩の村で生きていくことは人間にはできないから、
そうやって差別される人間を作ることで、精神の安定を図っていたと聞いた。
今はそういう子供たちはいないらいしいけど、ほんの50年前まではいたとか。人間て怖いな~と思った。

この話、書いていいのかどうか迷ったけど、もっと詳しい人いないかな?と思ったので投下してみる。
20年ずっと心にひっかかってたんだ。
ちなみに、教授の手伝いしてたのは男の子だけで、その彼女たちが付いてきてただけなので、
女性陣は何にも知らなかったんだ~。
095 名無しさん (2011/11/17(木) 15:52:38 ID:aYeOx//4a.)
     瀬戸内海のとある島の風習


52:天之御名無主 [] :02/02/08 06:17

15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。
ルールはこう。
その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3~4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。
そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。
可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。
引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。
セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。
親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。
勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。

だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?
096 名無しさん (2011/11/17(木) 19:52:02 ID:O3BGN4RY.k)
硫黄島が未だに、民間開放されてないのはなぜか。
社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。
真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。
夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。
硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。
新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。
オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。
それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。
こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。
こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。
硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。
もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。
だから、硫黄島から基地が移転することは無い。
何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。
097 名無しさん (2011/11/20(日) 17:11:37 ID:Mcv4TuydPo)

1. 利島
[海難法師(かんなんぼうし)]
利島の1月24日は海難法師の日とされ、海には海難法師の船が走っていて、
それを見ると死んでしまうという言い伝えがある。
昔、その海難法師の日、水を汲むために、じいさまや母親の止めるのもきかず、
湧き水の出る浜川まで出かけてしまった息子がいた。その夜の村は明かりがみんな消され、
あたりは真っ暗であった。
息子は桶いっぱいに水を汲むと、家に帰ろうかと思い振り返ったとき、
思わず海を見てしまったのである。「あっ、海にかいなん・・・・・」

無我夢中で家に帰ろうとするのだが、足を早めたくてもガタガタからだが震えてちっとも思うように歩けない。
やっとの思いで家の前まで来て、大戸を開けてツボオ(土間)へ飛び込み、
「かかあ、たらいのような船が、赤や青の帆を立てて、カケンマ沖を走っていったっけ」というと、
ドサッと倒れて死んでしまったという。

2. 新島
[海難法師]
江戸時代、伊豆諸島は韮山代官所の管轄下にあった。
あるとき、代官が島を巡る途中、大島から新島に渡る船が転覆して溺死した。
その後この日に島で人が死ぬなど凶事が続いた。
それ以後、1月24日の夜更けになると海難法師が通り、もし出会えば凶事が起こるとされている。
この夜は大声を慎み早寝をする。

3. 式根島
[海難法師]
昔、島の人々を苦しめた代官様を海に沈め、その霊が1月24日になると海から現れるといわれ、
その日は戸口にトベラの木をさし、夜はトイレに行かないようにお餅を食べて早く寝る習慣がある。

4. 神津島
[海難法師]
新島、式根島同様に神津島でも海難法師の言い伝えがあり、この習わしを無視して一晩中騒いだ若者3人は、
その後皆、不審な死に方をしたという。

5. 御蔵島
[忌の日の明神]
鉄の下駄を履き、赤い衣をまとった恐ろしい形相の神様が、1月20日に御前に上陸して歩き回り、
24日の夜になると村にやってくるため、この日は決して家の外には出てはならないとされている。
1月24日の夜は今でも島中がひっそりと静まりかえっている。
098 名無しさん (2011/11/20(日) 22:48:04 ID:x8kDUCVMJM)
>>97
神津では二十五日様が一般的だな
ひーみー様(御蔵の忌の日と同じ)とも呼ぶ
旧暦の1月25日で行うので毎年違う日になる
099 名無しさん (2011/11/21(月) 18:08:09 ID:Ip2wO8um/2)
[ニコニコ動画で再生]
いわくつきの村とは微妙にスレチだけど。
秘境・比婆神社の参道に車で突入~
なかなか惹きこまれるものがあるね。
100 名無しさん (2011/11/23(水) 14:11:14 ID:gzb.8gpEPE)
     砂鬼(サンドーラ)

五島列島の五島市玉之浦町では、無形民俗文化財に指定されている『大宝の砂打ち』が大変興味深い奇祭で知られている。

http://yokai.at.webry.info/200810/article_29.html
http://c1000.jp/news/genki/2011/11/08/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%81%A0%EF%BC%81%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8D%EF%BC%81%E3%80%80%E4%BA%94%E5%B3%B6%E3%81%A7%E5%A5%87%E7%A5%AD%E3%80%8C%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E3%81%AE%E7%A0%82/

ちなみに今晩19:00よりテレビ朝日『ナニコレ珍百景2時間スペシャル』で砂鬼が取り上げられる模様。
興味ある方は要チェック!
101 名無しさん (2011/11/25(金) 07:41:47 ID:Bu3bipZvW6)
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だからガチでやるなとあれほど・・

だからガチでやるなとあれほど・・
102 名無しさん (2011/12/06(火) 22:07:09 ID:SZ/Jbpm8eE)
Sirenのモデルになった廃村。

http://heyaneko.web.fc2.com/dj10.html
103 名無しさん (2011/12/06(火) 23:29:28 ID:cI.VlCUWTM)
諸星大二郎の短編集『ぼくとフリオと校庭で』(双葉文庫)に収録された
『黒石島殺人事件』の舞台『黒石島』のモデルは、おそらく悪石島。

ちなみにモロ☆はずっと昔からボゼを知っている。
104 名無しさん (2011/12/07(水) 09:18:49 ID:NiIasRZhhU)
有名な三重県は志摩市の売春島、渡鹿野島(わたかのじま)
なんと会社の慰安旅行で利用されていることも……

伊勢志摩渡鹿野島上陸記
http://japandeep.info/2009/08/28/142306.html

伊勢名物「売春島」秘史
http://www.tanken.com/watakano.html
105 名無しさん (2011/12/29(木) 21:31:20 ID:xWmAkeqoL2)
[YouTubeで再生]
>>1の画像は与那国島の立神岩ですね。
106 名無しさん (2011/12/29(木) 21:38:33 ID:xWmAkeqoL2)
日本から最も遠い大事な島~沖ノ鳥島~

日本最南端の島『沖ノ鳥島』は、合わせてわずか9・44平方メートルの二つの小さな岩石から成り立っており、
満潮時は岩の大部分が水没してしまう。
沖ノ鳥島は日本の経済水域を確保するためにも、重要な存在であり、
もし島がなければ、日本の国土(水域)が失われ、その経済的損失は計り知れないという。
107 名無しさん (2011/12/30(金) 23:30:05 ID:/ZS3X7FNGM)
[YouTubeで再生]
大久野島:地図から消された毒ガス製造の島
108 名無しさん (2011/12/31(土) 08:32:04 ID:YjfF.NYMzo)
109 名無しさん (2011/12/31(土) 20:20:11 ID:ykiWlFM31U)
島とは閉鎖空間。
そこに住む人々は自然の猛威にさらされ、生命が脅かされると、
いつしか神にすがるという。
110 名無しさん (2012/01/04(水) 21:26:42 ID:rEl69IpWHc)
     奄美大島の為朝渡来伝記

源為朝は保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、伊豆の大島に流された。
ここまでは本当の事である。その後、為朝が奄美大島に渡ることから伝説が始まる。
「中山世鑑」によると、途中、豪風雨にあい、船員に「運は天にまかせろ、
何も心配することはない」と、励まされ航海を続けた。
こうして着いた所が、今帰仁の港であった。運を天にまかせて、流れついた所なのでその後、
そこを『運天港』と名づけた。
為朝が運天港に上陸すると、琉球の人々は、そのいさましさにおされて、次々と服従した。

しばらくは運天港にいたが、その後、南へ移動して琉球南部の領主、大里按司の妹と結婚した。
そして二人の間に男の子が生まれた。為朝はその子を“尊敦”と名づけた。

やがて、勇敢な為朝も本土へ帰りたくなった。そして妻子を連れて本土へ帰ろうとしたが、
豪雨になって航海が続けられなくなった。為朝は日を変えて再び帰ろうとしたが、
同じように嵐になった。
船頭が為朝に言った。「女を船に乗せると龍宮の神様がおとがめになると言います。
この船が嵐にあうのは、そのためだめと思います」
為朝は仕方なく、妻子を港に残して一人寂しく本土へ帰った。

成長するにつれて、尊敦は器量など普通の人とは違い、並はずれた人格を見せはじめて、
15歳の時には、浦添按司となった。
そして、22歳の時、利勇という者が天孫氏を滅ぼし、王位にのぼると、
尊敦は義兵で利勇を滅ぼした。その後、周りの按司は尊敦に王になってくれと頼んだが、
尊敦はそれを辞退した。しかし三度目で尊敦もついに心を決め、王になって、
舜天と号した。以来、舜天王統は三代73年間、王として君臨しつづけた。
111 サンさん (2012/01/05(木) 19:59:57 ID:JaiWhQwhzc)
>>107
接地工事の現地調査でいったことがある。うさぎがバカみたいに沢山いたよ。
不気味な雰囲気は感じ取ったけど、まさか毒ガス島だったとはな…。
112 名無しさん (2012/01/31(火) 19:44:04 ID:Y4R4PBz32k)
[YouTubeで再生]
     種子島の仮面神トシドンはまるで子供の心を見透かしたよう

トシドンとは12月31日の大晦日に行われる、種子島西之表市鞍勇と野木平地域に伝承されている情操教育をかねた郷土芸能だ。

事前に巡回する家庭の子供たちの名前や、叱って欲しい内容などを打ち合わせしているため、
玄関に現れた仮面神トシドンに相対した子供たちは、まるで心を見透かされたかのような気持ちになり、
厳粛な面持ちで言いなりになる。とても微笑ましい光景だ。
これもボゼと同様、ナマハゲと酷似しているのが興味深い。
http://www.furusato-tanegashima.net/ky-geinou/kg-kurazami-tosidon.html
113 名無しさん (2012/02/07(火) 21:09:48 ID:FDs3k5QzBY)
     対馬島のオソロシドコロ

長崎県対馬市に『オソロシドコロ』と呼ばれる聖地がある。
天道法師の墓所が八丁角というところにあり、容易に一般人が足を踏み入れてはならない。
『オソロシドコロ』は『恐ろし所』とも記される。
これは単に地名ではなく、人々から畏怖される恐ろしい場所ということで『おそろしい所』らしい。

長崎県対馬市には多久頭魂(たくづま)と名の付く神社が2つある。
厳原町豆酘(いづはらまちつつ)に多久頭魂神社、上県町佐護(かみあがたまちさご)に天神多久頭魂神社がある。
この辺りは天道信仰があるそうだ。天道は太陽(お天道様)のこと。

おそろし所、八丁角、多久頭魂神社などについては以下のサイトを参照されたし。
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/tsushima.htm
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/tsushima.html
http://www.genbu.net/data/tusima/takududama_title.htm
http://www.genbu.net/data/tusima/tenjintakudu_title.htm
http://www.genbu.net/zatu/zatu003.htm
http://tsushima-net.org/blog/?eid=132
114 名無しさん (2012/02/09(木) 12:47:50 ID:TOBdY8uuQU)
     立神とは

日本には『立神』(たちがみ・たてがみ・たてがん)という名のつく地名、岩礁が驚くほど多い。
とくに岩礁に多く見られる『立神』の場合、そそり立つ威容を神の姿に見立て、古くから信仰の対象としてきた。

なかでも鹿児島県の奄美諸島、トカラ列島、薩摩半島、大隅諸島の島々では、今もなおその習慣が根付いており、
島民はその岩礁を神聖なる場所と崇めてきた。
115 (2012/02/10(金) 12:15:29 ID:Vu2gPhArwg)
削除(by投稿者)
116 名無しさん (2012/02/10(金) 12:17:23 ID:Vu2gPhArwg)
033 三遊亭明和 (2012/02/09(木) 23:15:00)

豊年祭はすでに島民以外の一般人も体験できるようになってきてて、
言い伝えのようなすさまじい密教ではなくなってるよ。
とはいえ祭り当日はもちろん普段も島内はあちこち規制で入れない場所が多いが。
問題なのはその祭りを観光化しようとしてる人と反対してる人との争い。
どちらも新城島の関係者だって話。
上陸すぐにある元小学校だったという空き地(公衆トイレや更衣室がある)も、
トラブルになったあげく立入禁止になってる。
もっとも4年ほど前の話だから今は違うことになっているのかもね。
117 名無しさん (2012/02/10(金) 18:36:16 ID:7/1gl5Yu66)
035 三遊亭明和 (2012/02/09(木) 23:25:36)

←2009年に行ったときの学校跡地

具体的な言葉で書くのは良くないと思うので、かなりあいまいな書き方ですまん。
実際、島内で当事者から直接聞いた話なので本当かと。
118 gokun (2012/02/10(金) 23:07:33 ID:x3mc3vov4k)
親知らず 子はこの浦の浪枕 越路の磯の泡と消えゆく
119 名無しさん (2012/02/12(日) 11:19:26 ID:iT5RMh/kwk)
10 :本当にあった怖い名無し[]:2008/04/09(水) 12:37:02

ガチで沖縄出身のボクですよ。
大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが
いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い
唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。
儀式には幻覚作用のある薬物を(ガンジャやある植物の根を絞り発酵させた酒など)用い人為的にトランス状態を作り出し
神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが
それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や
閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く
最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。
そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが
「神の~」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は
埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるためのタブー
タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

かなり長くなりました
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから
見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。
そうすれば島の住民は友達で居てくれます。
純朴で優しい人達ですよ。

秘祭の背景
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/note004.htm
120 名無しさん (2012/02/12(日) 11:21:35 ID:iT5RMh/kwk)
12 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/04/09(水) 22:36:33
>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね


13 :10[]:2008/04/10(木) 01:50:14
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。
僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。
インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。
今、改めて当時のレポートを読み返していますが
以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。
>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・
確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが
近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。
しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。

アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。
実際は荘厳で美しい祭りでした。
島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。

ゴールデンウイークに帰省した際にでも疑問をもう一度スッキリさせてみたいと思います。
121 名無しさん (2012/02/12(日) 16:47:03 ID:PHx/sZW6Jw)
古宇利島のウンジャミ

古宇利島の祭祀
http://rekibun.jp/21kouritakinuugan.html
古宇利島のウンジャミ(海神祭)に思う
http://janjan.voicejapan.org/area/0809/0809100803/1.php
122 名無しさん (2012/02/15(水) 22:47:09 ID:yvdcFHsbMw)
     女傑サンアイ・イソバ 


16世紀初頭、与那国島は当時女性の人口が多く『女護ヶ島』と呼ばれていた。
しかしながら人頭税に苦しめられた島人はやむを得ず、
間引きするための『久部良割』や『人枡田』という残忍な人口制限が行なわれたのは>>23>>24で知っての通り。
この悪習を止めさせ、平和な島を取り戻させたのが女傑サンアイ・イソバその人だった。

イソバは身の丈180センチ以上もある巨体でありながら、知恵と勇気を兼ねそろえていた。
彼女には4人の男兄弟がおり、自身は島中村で、弟たちは浦野、ヤデク、与那原に、
それぞれ按司(酋長)を務めていたが、他の村にも酋長たちがいて、たがいに牽制しあっていた。

ある日、あの残酷な人枡田のドラが打ち鳴らされた。
島人たちは、ドラや法螺貝の合図とともに、人枡田へ死に物狂いで目指すしかない。
やがて人枡田から人があふれ出て、蛮刀で斬り殺されようとした。
そのときイソバの制止の声がかかった。イソバ兄弟とその部下たちは、
イソバの号令のもと、人枡田を監督している酋長たちに斬ってかかった。

奇襲された酋長たちはもろい。ほとんど反抗されることなく片がついた。
島人たちは何事かと唖然としているところで、イソバは一同に語った。
「みなさん、わたしは島を救うために今日のこの挙兵に出ました。人枡田や久部良割は残忍きわまる悪法です。
今日限りでこの野蛮な行事を廃止し、明るい平和な島にしましょう。わたしとともに、新たな国を築くのです!」

これを聞いて、島人は、はじめてイソバが救世主であることを知ったのだった。
http://www.gainendesign.com/taizan/sakishima/others/others.html
123 (2012/02/19(日) 08:07:35 ID:Uze0IQPAj6)
削除(by投稿者)
124 名無しさん (2012/02/19(日) 18:38:55 ID:u5kzHBj15o)
美人しか生まれない『美女村』

なんと、対馬島の厳原町豆酘(いづはらまち・つつ)には美女しか生まれない村があるという。
美人しか生まれない美女村……。俄然ソソられずにはいられないネーミング。美人が嫌いな男子などいるのか?
余談だが、秋田美人で代表される寒い地域では日照時間が短いために、
色が白くキメの細かい肌の人が多いとの科学的根拠もあるみたいだし、
水が綺麗な所に住んでいる人も顔立ちまで美しくなる説がある。
http://faire.vivian.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=511

一方、九州や沖縄の女性は、目鼻立ちがはっきりした美人顔が多いという評判がある。
九州女性のそれは本土の人と微妙に違って、東南アジア系の人種を祖先に持つからだともいわれている。
それゆえに彫りの深い顔と、日本人離れしたスタイルをもつ女性が多いのかもしれない。
あくまで個人的意見だが、九州出身の美人芸能人は多いと思う。
確率論的に言えば、美女が生まれる割合は、「普通、不美人、美人」の順で「6対3対1」らしい。
何を以って美醜の基準とするのか境界線が曖昧だが、確率的に美人だらけの村があるとは、にわかに信じがたい。

対馬では実際に『豆酘美人』なる言葉があり、昔から豆酘が美人の産地であったという。
その謂われか、この土地の峠道には『美女塚』が築かれている。
美人ゆえの悲しい運命に泣いた伝説で、民謡にも『おつや』という19歳の美女の悲恋物語『今里こんたん』が存在する。

 かつて、豆酘の天神山の麓に鶴王という美しい娘がいた。年老いた母親を大事にし、村一番の働き手であったので、
 誰というとなく『美しい孝行者の鶴王御前』と呼ぶようになった。
 鶴王御前の評判が、やがて都に伝わり采女として召し出されることになった。老母を残しての旅立ちに心を痛めた鶴王は、
 輿(こし)をこの村境の『トンモト山』の丘にとめ、役人に急に小用がしたいといって、道より少し離れた薮の中に入り、
 舌をかみ切った。
 真っ赤な血に染まり、息も絶え絶えに、「美人に生まれたが故に、こんな悲しい思いをして死なねばならない。
 どうか、いまから豆酘には美人が生まれないように、お願いします」といって息絶えた。
 村人たちは、薄幸な美しい孝行娘鶴王の死を哀れみ、この場所に葬り、その上に平石を立て墓石とした。

美人はつらい。この事件のあと、村の娘たちは誰もが美貌が目立たたぬよう化粧もせず、手ぬぐいで隠し、
継ぎはぎだらけのみすぼらしい仕事着を身につけるようになったという。

※画像は豆酘の資料館のもの。美人に該当する人はいないじゃん、なんて言うなかれ。
125 名無しさん (2012/02/19(日) 18:40:57 ID:u5kzHBj15o)
     時には知らなくていい伝説もある『美女村』
     
……というか、これでは美女ばかりが生まれてくるという由来とは正反対になってしまうが?

どうもいろんな文献を調査したり、ネットで検索したものの、肝心の「なぜ美女ばかり生まれてくる村なのか」
という謎に焦点を絞っていないものばかりなのがいただけない。

豆酘ではその昔、他から嫁をもらうことも、他の集落に嫁ぐことさえなかったそうだ。
他集落との婚姻が進んだのは戦後もしばらくたってからのことである。
現在の、70~80代になる老女たちが、かつて豆酘美人といわれた世代だ。

いずれにせよ、わかっていることは1つだけある。女の花の時期はあまりにも短かすぎるのだ。
今となっては美女村は高齢化と過疎が進み、悲しいかな過去の遺物となりつつある。
美しい伝説はむやみにほじくり返すべきではないと、切に思う。

※画像は検索で引っかかった豆酘美人の某さん。
撮影したのは、昭和35、6年ごろらしい。今も健在のようだ。
http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/iki_tsushima/060.html
http://hero1945.livedoor.biz/archives/cat_10019833.html
126 名無しさん (2012/02/20(月) 12:24:21 ID:OwR8sJ8JX.)
     青ヶ島のシャーマンは今も存在するのか?    

青ヶ島は、東京の南358.4キロメートルの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島の島だ。
もっとも近い八丈島からは南へ71.4キロメートル離れている。
青ヶ島は、世界でも珍しい端正な二重のカルデラの複成火山の島。
外側のカルデラの中央には丸山という内輪山があり、
青ヶ島の最高点はこの丸山を取り囲んでいる外輪山の北西部分に当たる大凸部(おおとんぶ)で
標高423.0メートルである。

青ヶ島村は、れっきとした東京都の村。
伊豆諸島の南部に位置する青ヶ島全域を村域とする。他の伊豆諸島の町村と同じく所属する郡はなく、
「東京都青ヶ島村」が正式な表記だ。
青ヶ島村を所管する都の行政出先機関は東京都総務局八丈支庁である。

日本国内で最も人口の少ない地方自治体であり、人口の約半分が島外出身の村役場職員や
学校教員・建設作業員及びその家族で占められていることから、島民の平均年齢は離島としては若く、
30歳代後半である。

続きは下記URLを参照されたし。
http://www.geocities.jp/gotos_room/_geo_contents_/aogashima.html
127 名無しさん (2012/02/20(月) 21:26:46 ID:OwR8sJ8JX.)

与太半分で聞いてください。

美人の産地と言われる場所は、日本海側に集中しています。
津軽美人、秋田美人、庄内美人、越後美人、越中とばして加賀美人、で、越前と若狭を飛ばして、
京美人で終点になります(飛ばした地域にも○○美人があるかも知れませんが、
飛ばしてしまったのは回答者の無知によるものです。その地域の女性の皆さん、あしからずご了承ください)。

で、これを京都起点で考えると、北前船の航路に沿って美人の産地が分布しているんですね。
ここから考えると、京文化が北前船によって伝播していく過程で、
洗練された女性像が確立していった地域と言ってもいいかも知れません。
女性の美しさは顔立ちだけでなく、化粧や立ち居振る舞いにもありますから。
秋田美人、個人的には北側の内陸、大館とか小坂がおすすめです(←自分が良い思いをしただけじゃないかという疑惑あり)。

なお、美人というと、対馬には美人村という集落があり、そこの女性はみな美人だそうです。
これには、ウツボ舟(捨身行の一種)の伝説と呪いが絡んでいるとか。

ちなみに、雪女については、一番有名なラフカディオ・ハーンの怪談に掲載されている話は、
東京府西多摩郡調布村(現在の東京都青梅市)で採集された話だそうです。
そこに美人がいるかは・・・、やめときましょうね。そのほかに、雪女伝説自体は全国的に分布しています。

投稿日時 - 2009-08-31 00:47:16
128 名無しさん (2012/02/20(月) 21:28:53 ID:OwR8sJ8JX.)
>私は生まれてから山口県に住んでいますが、山口県は美人が生まれない地として有名です(あんまり嬉しくは無いですが)
なんでもむかしむかしの言い伝えのお話が残っているのですが、昔山口県に美人を生贄に差し出す事があったそうで
生贄が増えてはいけないとそれ以来美人を産ませなくなったと言う言い伝えを聞いた事があります。
私の記憶の中のものなので本当の言い伝えはもう少し違うと思いますが大体こんな感じです。
今現在山口に住んでいてあまり美人さんを見かけたことがありません(もちろん例外の方もいらっしゃるとは思いますが)
129 名無しさん (2012/02/21(火) 20:20:22 ID:Tq4NbLU4Pc)
     虫に食い尽くされる島 ホボロ島

東広島市安芸津町沖500メートルにある無人島(というより岩礁)ホボロ島が、小さな虫の大量発生で崩壊され、
消滅の危機に瀕している。
これは日本国内では珍しい地形の生物侵食に該当するという。
島は以前は最高地点で約22mの高さがあったが、現在では干潮時でも6mにすぎず、
100年後には島そのものが消滅してしまう可能性が懸念されている。

島を崩壊させている虫とはいかなるものか。
現地調査によると、体長1センチ程度でダンゴムシ似の『ナナツバコツブムシ』なる虫が大発生していることが
わかった。この虫は頑丈なアゴで島の岩をかじり、直径約1センチ、奥行きが1~5センチの住処を作っていたのだ。

島の岩は風化でもろく虫食いされやすく、さらに波に浸食されて急速に崩壊の一途を辿っているようだ。
恐るべし、ナナツバコツブムシ。
http://www.kagakunavi.jp/topic/show/35
http://umafan.blog72.fc2.com/blog-entry-505.html
130 名無しさん (2012/02/22(水) 21:34:40 ID:.kPSsdSV0k)
[YouTubeで再生]
すごいぞ、ラピュタは本当にあったんだ?

和歌山市加太に属し、紀淡海峡に浮かぶ無人島である『友ヶ島』。瀬戸内海国立公園の一部にも指定されている。
実は、第二次世界大戦までは要塞施設として一般人の立入は禁止され、地形図にすら記載されなかった負の遺産でもある。
ところが戦後、放置された廃墟の数々が、宮崎アニメの代表作『天空の城ラピュタ』の舞台、
ラピュタに瓜二つであることがひそかに人気になっており、実写版ラピュタ見たさに観光客が訪れている。
http://matome.naver.jp/odai/2132306162002172901

※動画は、音楽が途中でブツ切りなのがイタイ。しかも魔女の宅急便も入ってるし。
131 名無しさん (2012/02/23(木) 20:49:11 ID:Mh4HTBSLpo)
>>60
久高島の『イザイホー』が絶えそうになったり、
風葬がなくなったのは、まさか岡本太郎が戦犯の1人だったとはなあ…
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-853.html
132 名無しさん (2012/02/26(日) 13:38:08 ID:qeiy1yCzko)
軍艦島のネーミングセンスには脱帽するね。
http://homepage3.nifty.com/tompei1/Gunkanjima.htm
133 名無しさん (2012/02/28(火) 20:34:22 ID:bIxDVN.3oI)
     ヤドカリ葬は実在するのか?

鹿児島の某島の葬儀では、アマンと呼ばれるヤドカリの群れに遺体を
食べさせる奇習があるというが本当なのだろうか? にわかに信じがたい。
現在調査中。
134 音楽 (2012/02/29(水) 04:31:14 ID:LdTY9YsKXM)
>>122
凄く好き
なんだか漫画か映画みたいだ
135 名無しさん (2012/02/29(水) 21:19:59 ID:IJi/2SyLgA)
>>134
音楽さん、お久しぶり。
ゲーム板の『シューターは滅びず!』のスレ主であり、頻繁に書き込みもやってる者です。
『シルフィード ザ・ロストプラネット』の件で思い出すかも?
基本的にオカルト板が僕のテリトリーですが、たまにそちらでもレスしてます。
当スレを覗いてくれて、ありがとうございます。今後ともご贔屓に。


     潮干珠・潮満珠から生まれた伝説がある島

山口県下関市長府沖、瀬戸内海に対のような無人島がある。
満珠島・干珠島(まんじゅしま・かんじゅしま)といい、神功皇后が住吉大神の化身である龍神から
授けられた2つの玉、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたとのいわくがある神聖なる島だ。
源平合戦最後の決戦である壇ノ浦の戦いで、源義経率いる源氏が本陣を構えたという。

陸地に近い方(画像左側の島)が干珠であり、沖にある方が満珠と区別されているが、
単に両方の島を称して満珠・干珠と呼ぶことが多いようだ。
136 名無しさん (2012/03/02(金) 00:38:31 ID:DmpbCogsbE)
gj
137 音楽 (2012/03/03(土) 03:00:04 ID:RMUO0qzt2o)
オカルトだけど何か惹かれるものがあれば…
中ノ鳥島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6
>>135
お久しぶりです、ちょくちょく見てますよw
以前の件はありがとうございました、お陰で隠し要素等フルコンプしてますよw
皆さんが紹介される他のゲームも楽しんでいます
もっとシューターが増えると良いですね、有難うございました<(_ _)> 
138 . (2012/03/15(木) 05:02:14 ID:IsF87lPA82)
.

←ここ怖いよ
139 名無しさん (2012/03/22(木) 19:47:35 ID:EBAYyG0qow)
さてはこのブログ、>>21の文章を引用したな
http://blogs.yahoo.co.jp/tmtm0918/36453829.html
140 名無しさん (2012/03/23(金) 21:15:01 ID:gBBNsY9ffQ)
【閲覧注意】日本に存在するヤバイ集落、閉ざされた村
http://chaos2ch.com/archives/3309768.html
141 名無しさん (2012/03/24(土) 08:17:13 ID:BIrGovXQsg)
142 名無しさん (2012/03/24(土) 08:33:36 ID:BIrGovXQsg)
地図から消えた村
http://blog.livedoor.jp/isam21-village/archives/5468681.html

【幻想諸島航海記】地図から消えた島
http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/
143 名無しさん (2012/03/30(金) 21:22:50 ID:QQ5zOtWOfM)
144 名無しさん (2012/04/08(日) 09:45:11 ID:i8pczwg6F.)
     藤原純友の隠し財宝が眠る島 

岡山県倉敷市の南端から沖合い1キロ先の海上に浮かぶ三角形の島が釜島だ。
今でこそ訪れる人もまばらな無人島にすぎないが、高度経済成長期には(昭和30年の調べによると)、
人口70人を数えるほどの定住者がいた。
昭和40年前後になると、海水浴客などの来客者が年間1万人にも達した賑やかな島だった。
その後、定住者もいなくなり、海水浴の客足も遠のいた。

釜島からは先史時代の石器(讃岐石の打製石器)や石斧、土器、古墳群などの遺物が多数見つかっており、
古の時代から人の出入りがあったことが偲ばれる。
また、藤原純友http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%B4%94%E5%8F%8Bが瀬戸内海で起こした
天慶の乱(940)の際には、島に出城が築かれ、追捕軍との戦で多くの兵が流血、周囲の海は赤く染まったと語られている。
それゆえに釜島には、「純友の隠し財宝が眠る」という噂がつきまとっていることで有名。

島名は、古くから行われていた製塩に由来する。塩を生成するときに海水を煮るための釜から釜島になったらしく、
以前は塩釜島と呼ばれたこともあった。
島の北側にある塩釜神社には、ひそやかな島の歴史を伝えるかのように古い鳥居と小さな祠が佇んでいる。
http://www.pref.okayama.jp/kikaku/chishin/ritou/13kamashima/index.html
145 名無しさん (2012/04/08(日) 21:01:08 ID:NLsu.X7T9E)
某本州の祭りでは駐在所の警官が泥酔して水死とか、いろいろ。
146 名無しさん (2012/04/08(日) 21:10:49 ID:NLsu.X7T9E)
●田代島(宮城県)
「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われている。
近年は「ネコの島」として知られる。
猫がとても大事にされており、島内で自然繁殖しており、既に島民よりも個体数が上回っている。
一方、島内では犬は猫の天敵とみなされており、島民で犬を飼っているものはいない。
また、犬を島内に持ち込もうとすると、島内の風習により島民から○○されるらしい。
田代島ではかつて養蚕が行われていたため、カイコの天敵であるネズミを駆除してくれる猫が飼われており、島民から大事にされていた。
147 名無しさん (2012/04/09(月) 21:28:18 ID:VsFO919AxA)
御蔵島伝説
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mabuta/progra-m/legend-2.htm

「今日は神様が海を渡るから、絶対に海を見るなよ。もし見ちまったら、目がつぶれるぞ」
http://ameblo.jp/oooloveooo/entry-10795403960.html
148 名無しさん (2012/04/14(土) 10:36:07 ID:aYYT4c3qM2)
     レオタード姿の海女さんがまぶしすぎる?壱岐島

壱岐島(いきのしま)は、九州と対馬の中間にある島だ。
周囲には21の属島(有人島4・無人島17)が存在し、総称を壱岐諸島という。
官公庁の定義によると、「壱岐島」と呼ぶ場合、周囲の属島は含めない。
美しく豊かな景色が自慢の全域が、壱岐対馬国定公園に指定されている。

不思議なことに、南北17km・東西14kmの小さな島内には標高の高い山がないにもかかわらず、
火山がなんと100を数えるほど存在し、世界各地の研究者たちが3年の月日をかけて調査したものの、
結局、なぜ島に火山が密集しているか解明できず、断念させた逸話をもつそうだ。

壱岐島の産業は、その他の離島の例に漏れず、農業・漁業などの第一次産業が主である。
なかでも島の東部、八幡地区では、海女さんたちが太古の海人族からの引き継がれている素潜り漁を続けている。
驚くなかれ、彼女らはウェットスーツに身を包んでいるのではなく、レオタード姿で海に潜っているのだ。
島ではウェットスーツの着用を禁止しており、これを地元では『レオタード漁』と呼んでいる。
もっともレオタードとは聞こえはいいが、素肌の一番下にシャツ、次に長袖のヒートテック、
さらにシャツを重ね着し、その上に水着とレオタードと5枚着込むため、実際は着膨れして不恰好。

八幡の海女の漁は5月1日から9月末まで。とくに5月上旬は春をすぎた時期に潜るとはいっても、
海水は氷水のように凍てついているため、着込まないと仕事ができないという理由がある。
それよりも身体に負荷をつけさせ、乱獲を防いでいるんだとか。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
149 名無しさん (2012/04/14(土) 16:18:02 ID:LUTt7FRvOQ)
怖い話まとめブログ『長崎のとある島』
http://khmb.blog92.fc2.com/blog-entry-3941.html
150 名無しさん (2012/04/14(土) 20:50:56 ID:5D2QtV5cP6)
難破した遣唐使の高貴な人物の遺体が安置されていた鍾乳洞がある『沖永良部島』
http://4travel.jp/traveler/maikyukyu/album/10188052/
http://www.tabizanmai.net/rohman/2008amami/0907/index.html
151 名無しさん (2012/04/15(日) 20:52:08 ID:hzMKApZ49A)
散骨、船で火葬、無人島で土に返る…葬送に新しい波
http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008103130_all.html
152 名無しさん (2012/05/17(木) 07:35:43 ID:sfCmVuA8FA)
壁紙にドゾ
153 名無しさん (2012/05/20(日) 10:53:18 ID:xm9C8h3Hcg)
伊勢志摩渡鹿野島 シーサイドホテルつたやのサイト
http://ssh-tutaya.com/oiroke_f.html
154 名無しさん (2012/05/20(日) 13:57:13 ID:xm9C8h3Hcg)
155 名無しさん (2012/05/20(日) 22:17:24 ID:TyoLwT6Z..)
      瀬戸内海の島々こそ怖い島のアンダーグラウンド

岡山県東部に位置する島々を日生諸島と呼ぶ。
備前市日生町を中心に、瀬戸内市邑久町、兵庫県赤穂市にまたがる有人島、無人島14もの島から構成されている。

なかでもオカルト板的に食指が動くのは『首切島』であろう。
かつて島には重罪犯の処刑場があった。
地元の人は決して近寄らない場所なのだそうだ。

首切島
http://www.ceres.dti.ne.jp/~genta/3.htm

流人島から流犬島へ(鹿久居島も含む)
http://t-fujita.typepad.jp/sein/2010/09/%E6%B5%81%E4%BA%BA%E5%B3%B6%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B5%81%E7%8A%AC%E5%B3%B6%E3%81%B8.html
156 名無しさん (2012/05/20(日) 22:19:19 ID:TyoLwT6Z..)
……いかん、画像を貼り忘れた。
157 名無しさん (2012/05/21(月) 18:57:40 ID:zRVeVdl.Lg)
[YouTubeで再生]
香川県高松市庵治町大島
国立療養所大島青松園
158 名無しさん (2012/05/26(土) 08:22:41 ID:FHRIDPggTU)
長崎県の平戸の先にある生月島には、今も隠れキリシタンがいる。
明治になって禁教令が解かれたとき、他の地域と同じように宣教師が来て
カトリックへの同化が試みられたのだが、
300年の歴史の中で土着宗教のような独自の変化が起こっており
教義への信仰がなくなっていたため、うまくいかなかったそうだ。

今はもちろん隠れ住んでいるわけではない。
しかし、儀式などをひっそり行うこと自体が伝統になっており
信者本人にはそんなつもりはないのかもしれんが、
秘密めいたイメージがあるのも事実。
過疎化によって後継者が減り、今では廃れつつあるらしい。
http://yattemiyou.net/archive/kakure.html
159 名無しさん (2012/05/27(日) 09:15:30 ID:TM9rkQQdxk)
     管理職研修、由利島(ゆりじま)での受難

由利島は愛媛県松山港の沖合に位置する、面積0.45k㎡の小さな無人島だ。
島には恐ろしげな伝説が残されている。

昔々のこと、瀬戸内海を行き来する舟は、潮待ちのために由利島の南端に舟を停泊させていた。
そんなとき舟に向かって、どこからともなく美しい女の声で「お舟に申すぅ……」と、聞こえてくるのだという。
船乗りたちは「化けもんの声じゃ!」と恐れ、錨をあげて島を離れること、しばしばであった。
こんな噂が広まり、船頭たちの間では、「由利島にだけは舟を止めるな。あそこには化けもんがおる」と不文律が
生まれたほどであった。

ある日、そんな怪談話を知らぬ一艘の舟が、急な潮に流され、由利島で待ちぼうけを食らうことになった。
しかたなく船乗りたちは眠りにつくことに。
深夜、山の中腹あたりから、「お舟に申すぅ」「お舟に申すぅ」と件の女の声がしたと思ったら、舟に近づいてくる気配がする。
ただならぬ声に目を覚ました船乗りたちは、舟から島を見ると、この世のものとは思えぬ絶世の美女が「お舟に申すぅ」「お舟に申すぅ」と、
言いながら走ってくるではないか。

逃げようにも錨をあげる暇すらない。あっという間に女は舟に飛び移った。途端、舟がグラリと揺れるほどの大音響が響いた。
船乗りたちは我が目を疑った。女が乗ったあたりを見れば、その姿は消え、かわりにまばゆい光が船上を染めているのだ。
なんと、そこには金銀銅の銭が山積みになっていたのだった。
「これは、どげんしたちゅうこっちゃ」と、船乗りたちは口々に言った。
しばらくして船頭が結論を出した。「あの女、わしらの舟が大阪に行くのを知っており、大阪につれて行ってもらいたいもんで、
『お舟にもうすぅ』と、言うたんじゃなかろうか。とすれば、みなの衆、舟を沈まさぬよう、大阪まで旅しょうや」
「なるほど、この銭、大阪までの舟賃というわけか」

夜明けになると同時に出航した。なんとか無事に大阪に着いた。
「はて、このぎょうさんの銭で何をしよう」と船乗りたちは、話し合った。
「そうじゃ、わしら船乗りじゃけん、舟具屋を始めたら、いい品が置けるかも」ということで、舟具屋を開店することに。
屋号も由利島の銭で建てた店だから『由利屋』と名付け、店は繁盛したという。


ちなみにチキンラーメンで有名な日清食品では、管理職の研修をこの島で行っている。
下記URLはその模様。

無人島でサバイバル体験!
http://www.tanken.com/yurijima.html
日清、若手管理職にチキンラーメン持たせて「無人島」に放り込む研修再開
http://nakasoku.blog18.fc2.com/blog-entry-1024.html
160 名無しさん (2012/06/02(土) 09:25:23 ID:vbRJjZmjbY)
     猿島の日蓮伝説

1253(建長5)年4月、日蓮上人は上総から鎌倉へ向けて船出した。
しかしながら春の海は潮の流れが速く、船足も捗らない。
そのうち南西の風が強まり、時化に遭ってしまう。
もはや船の進路方向さえわからなくなり、そのうえ横殴りの強風と大波に船はもてあそばれ、
船底には穴が開いてしまった。

船底から水があふれてくる。このままでは沈没は時間の問題。
上人は舳先に立ち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えた。すると驚くべきことに船底の穴がふさがれ、浸水がおさまった。
奇跡は続いた。いつしか上人の前に不思議な白い猿が現われ、とある無人島を指さしたのだ。
上人はなんとか島に避難し、嵐をやりすごしたのだった。(のちに、この白猿にちなんで『猿島』と呼ぶようになったという)
一息ついた上人は白猿に導かれ、猿島から船を出し、横須賀にある米ケ浜の海岸に上陸しようとしていた……。

一方そのころ、三浦半島の石渡左衛門尉は前の晩、東方から偉人が来るとのお告げを受け、高台から海を眺めていた。
するとどうだ。船に乗った日蓮上人がこちらに向かってくるではないか。
左衛門尉は、あの人に違いないと思い、浜に降りて待つことにした。
ところが船は近づいてくるも、浜は磯になっており上陸することができず、立ち往生していた。
左衛門尉は海に入り、上人を背負って上陸することにした。
なんとか陸まで運んだはいいが、上人が左衛門尉の足裏を見てみると大量出血している。

「足はいかがされた?」案じた上人が聞くと、「どうやらサザエの角で切ってしまったようです」と左衛門尉。
そこで上人がふたたびお題目を唱えると、左衛門尉の出血はピタリと止まった。
さらには以来、周辺で獲れるサザエの角はなくなったという。

嵐に飲みこまれ船底に穴があいたとき、浸水がなぜ止まったのかというと、船底の裏には大きなアワビが貼りついており、
それが栓の役目を果たしたことがわかった。

このあと上人は左衛門尉の世話を受けながら21日間、米が浜の洞窟にこもったあと、鎌倉へ向け去っていった。

日蓮伝説と要塞の島 「猿島」1
http://homepage3.nifty.com/rurounotami/yokosuka_sarushima01.htm
日蓮&要塞
http://www.aonosimasima.sakura.ne.jp/sarusima.htm
161 名無しさん (2012/06/02(土) 16:59:55 ID:ZDYCjHf1q2)
     墓が2つある島々

現代、埋葬する墓とお参りする墓は同じであるのが通常であるが、民俗学者の柳田国男によると、
かつては埋葬する墓と参る墓との別々が存在したのが一般的だったそうだ。
遺体を土葬する場所を『埋め墓』と呼び、石塔を建てて霊を祭る墓を『参り墓』と称した。
これを『両墓制』という。

現代人には奇異に思えるかもしれないが、この両墓制の風習が今もなお残る地方がある。
瀬戸内海の塩飽諸島の島々がそれだ。

起源はいくつか挙げられる。
埋葬と祭儀が区別された古墳時代からの名残である説。
遺体は穢れたものであるから、別の清らかな場所に祭祀の場を設けようとした『穢れ』思想の説など。
たしかに土葬は土壌汚染を免れない。衛生面を考え、埋め墓を高台など人里離れた場所に設け、
参り墓を集落の近くに作ったとすれば合理的だ。わざわざ山の中腹まで墓参りするとなると、老人たちは骨が折れる。

しかし近年、土葬がなくなりつつあるのに加え、過疎、高齢化の影響で埋め墓、参り墓が渾然一体となり、
維持すらままならなくなっているのが現状だ。
このように日本の葬祭文化は多種多様であるが、時代の変遷とともに平易化していくにはあまりにも惜しい。
先祖代々から引き継いできた民俗風習の灯火は絶やしてはいけない。

21世紀へ残したい香川 両墓制(塩飽諸島など)
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/kurashi/4/
瀬戸内海の青い墓/香川県三豊市
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/kagawa-awasima.html
162 CentroDestra (2012/06/04(月) 13:08:15 ID:nrGS5cKK1.)
>>119
コピペだけどすごく面白いや。
今年、学生と沖縄に民俗学収集に行くんだけど、
少し掘り下げて調べてみようかな。
確かに沖縄周辺の島々に関しては、あまりフォークロア的な
収集事例が無いんだよね。
沖縄本島には結構あるんだけど。
163 名無しさん (2012/06/04(月) 14:49:38 ID:OH9oea1B3s)
調べてみると、ほぼ釣りの名所w
164 スレ主 (2012/06/04(月) 22:24:54 ID:8qsAi2eGuk)
[YouTubeで再生]
>>162
>今年、学生と沖縄に民俗学収集に行くんだけど

元○○○さんであるCentroDestra氏よ、学生とはなんじゃい?
なんの自営をしてるんだっけ? とどのつまり、貴殿は何者なんだ?

いずれにせよ、民俗学の調査に行くのなら(結構なご身分ですな!)、このスレにて詳細に報告されたし。

沖縄周辺も含め、鹿児島のトカラ列島もまた民俗学ファンにとっては垂涎のネタの宝庫。
レポート、心待ちにしておりますよ。
165 名無しさん (2012/06/04(月) 22:27:22 ID:8qsAi2eGuk)
[YouTubeで再生]
     人間魚雷『回天』の訓練基地があった島 

山口県周南市の沖合10数kmのところに大津島という小島がある。
人口は約400人超で7つの集落で形成されておるものの、その他の離島の例に漏れず、
65歳以上の高齢化率が70%に達しており、少子過疎高齢化の進んだ限界集落だ。

戦時中には、島の周辺で人間魚雷『回天』の発射訓練が行われていたことで知られ、
今も訓練に使用された基地跡が残されている。

太平洋戦争末期、「天を回らし、戦局を逆転させる」という起死回生の悲願をこめて、人間魚雷『回天』は産声をあげた。
回天一型は九十三式酸素魚雷を改装したものである。
酸素魚雷は発射後に航跡が残らないという、終戦まで欧米も開発できなかった日本軍の切り札だった。
回天は大量の爆薬を搭載し、この中央に人間が乗り、隊員みずから操縦して敵艦に体当たりする、いわば水中版特攻隊。
速力30ノットは出たらしいが、航続距離が短いので、潜水艦に搭載されて目標近くまで運搬されなければならない。
しかし米軍の対潜哨戒技術が高かったため、多くの回天が潜水艦ごと発見され撃沈されるという憂き目にあった。

隊員の訓練基地が築かれた大津島には、全国から20歳前後の精鋭たちが集結し、毎日厳しい訓練を繰り返した。
そして祖国を守るため、ここから出撃していき、多くの若き命が散華した。

回天Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%A4%A9

戦跡探訪
http://www17.ocn.ne.jp/~senshi/senseki.htm
166 CentroDestra (2012/06/05(火) 12:05:40 ID:7Mg5J55hVY)
>>164
今年、漸く地方大学に席を見つけたシガナイ貧乏准教であります。
調査は秋ごろですなぁ・・・
167 黄金のタマ (2012/06/07(木) 01:58:32 ID:5l69HLBJhQ)
雄島行ってきました。
168 名無しさん (2012/06/09(土) 10:34:47 ID:YdGSofycFQ)
>>166
准教とな……いつぞやの諸星大二郎のスレで、カーゴカルトがどうの、
文化人類学的言語『ブリコラーシュ』がなんたら、建築様式とか造詣が深そうに思えたけど、
案の定、そっちを専攻してるんで?
有体に申しまして、僕にはさっぱりチンプンカンプンの世界ですね……

まあなんにせよ、お仕事頑張ってください。それと調査の報告、よろしく。
169 名無しさん (2012/06/09(土) 10:38:26 ID:YdGSofycFQ)
>>167
こないだとりあえず板で、旅行先どこへ行くかスレ立てして決めたんだっけ?
ご存知かとは思いますが、その雄島を紹介しましょう。夏も近づいてきたことだし、オカルト板らしく。


     雄島の幽霊話は捏造されたもの?

雄島(おしま)はの福井県の越前海岸にある、東西40m、南北200mほどの島でありながら
地元の人々から『神の島』と呼ばれたり、または『瑞巌寺の奥の院』とも称される島だ。

本土から島へは渡月橋で結ばれており、橋全体が神社と同様、朱塗りなのだ。
これは神の島への入り口であり、この世とあの世を結ぶ結界を意味する。
事実、渡ってすぐ島の守り神である大湊神社の鳥居が出迎えてくれる。
島内に点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く見られ、
霊場としての風景を今にとどめている。

昼間の雄島の顔は神聖な聖域でありながら、日本海に沈む夕日が美しい絶景ポイントとして知られ観光客に人気だが、
夜ともなればそれも一変する。
というのも、近くに自殺の名所で名高い東尋坊があり、身を投げた自殺者の遺体が漂着することが少なくないんだとか。
それにくわえ、夜は心霊スポットとして屈指の知名度を誇ることで有名。
日が暮れてから橋を渡ると、海から無数の白い手が伸びてきて引きずりこまれてしまうというウワサがあるそうな。

他にもこんな恐ろしいことも……
大湊神社の本殿へ参拝するには古い石段をのぼっていくのだが、途中道は左右に分岐する。
右手から反時計回りに進む『順打ち』と、左から時計回りに進む『逆打ち』と呼ばれるルートがあり、
いたずら半分『逆打ち』の巡礼道に足を踏み入れてしまったものなら、霊界に迷いこんでしまい、
二度と元の世界へは戻れなくなるという。

実はこの2つのルートも、右回りが『逆打ち』で、左回りが『順打ち』ではないか、との説があり判然としない。
ところが、肝試しに行った者たちが実際に2つのルートを回るも、そういった報告はほとんど聞かれないのが実情だったりする。
これは、東尋坊から投身自殺した遺体が潮の流れに乗り、雄島に流れ着くことに端を発しているのではあるまいか。

遺体は荒波に揉まれ、磯の岩肌でヤスリがけされたうえ、魚や甲殻類についばまれ、
ふた目と見られる状態ではなくなっているのがめずらしくない。
そんな悲惨な亡骸を見せ物にしたくないがために、地元の人たちの思いがさまざまな伝承を生み出したのかもしれない。

雄島を歩く正しい順路?
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/oshiete/list/CK2012052702000183.html
東北心霊地図
http://gost.s35.xrea.com/hukui/read.cgi?DIR=hukui&FILENAME=1125818262
170 黄金のタマ (2012/06/09(土) 13:20:43 ID:DOUlf4jTUY)
解説どうもありがとうございます^^
実際に行ってみると、おばさんが一人たたずんでいた事意外は不気味ではなかったです。
171 名無しさん (2012/06/09(土) 23:12:57 ID:YdGSofycFQ)
>>170
そのおばさんは、ちゃんと生きた人間だったの?


     平郡島の蛇の池伝説

山口県柳井市の南20kmの伊予灘に浮かぶ細長い島、それが平郡島(へいぐんとう)。
島名の由来は鎌倉時代に木曽義仲の子、平群丸(へぐりまる。『郡』ではなく『群』)が落ち延び、
住み着いたことから冠された。
集落は頑丈な石垣で囲まれた家々が寄り添い、棚田状の段々畑が山の斜面に広がっており、牧歌的な景観が眼を和ませる。

島の西には『蛇の池』と呼ばれる神秘の池がある。
間近に海があるにもかかわらず、池の水には塩分が含まれていないことから神の水として神聖視している。
その逸話がこんな内容だ。

……今を去ること820年もの以前。
平家は度重なる戦いに敗走、四国屋島の一戦にも大敗を喫し、一部の兵船は熊毛郡室津半島に落ち延び、
阿月池の浦の潟(砂丘などで外海と分離してできた湖)になった池に潜んだ。

源氏の軍勢はこれを見つけ、両軍入り乱れての合戦となり、たちまちにして湖は血の色をたたえた。
この騒ぎに驚いたのは、池の主たる大蛇である。
もともと釈迦如来の使者といわれ、長らく平穏生活を送っていたが、
時ならぬ狼藉者によって聖地を血で汚されたのだからたまらない。
心清きものの住むところではないと、住み慣れた池をあとにし、まずは近くの皇座山に登った。
(今でも皇座山の山頂には草木の茂らない場所があり、そこに大蛇が住んでいたと言い伝えられている)

ある日のこと、室津半島から平郡島へ漕ぎ帰ろうとする漁師が、年のころ18、19の美女に呼び止められた。
女はどうしても今夜中に平郡に渡らなければならないのだという。
「なにとぞ渡してくれたまえ。お礼として、そなたが漁に出たとき、ただの一度だけ、
船一杯の獲物を得させてあげましょう」と、頭を下げた。

漁師はそんな話を眉唾に思いつつも、女に従い、平郡へ渡すことにした。
女が指さした島の波打ち際を見ると、驚いたことに今までなかった大池が広がっているではないか。
青く澄んだ美しい池である。
浜に着き、船から降た女は、「私の家はすぐそこです。お礼の漁はこの一帯でしなさい。
そのかわり、二度と網をお入れなさるな」と言い残し、かき消すようにその姿はいなくなった。

次の朝、漁師は半信半疑の思いで網を投じた。
するとどうだろう、船が魚で溢れんばかりの大漁ではないか。
浜へ帰って魚を売り、たらふく儲けた漁師。しかし味を占めてしまい、すっかり女の言葉を忘れ、
予備の船まで用意してふたたび漁に出てしまった。

予期に反して、二度目も獲物で船が満杯になった。
ところが、いざ帰ろうと船を岸に向けて漕ぎ出したところ、一杯だった獲物は、またたく間に蛇と化したのだ。
漁師は生きた心地もなく、船を捨てて海へ飛びこみ、命からがら逃げ帰ったという。

島の伝説
http://www.higeg.jp/heigun/heigun2.html
自然と歴史が育んだ島-柳井市 平郡島
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a123003/island/heiguntou.html
172 黄金のタマ (2012/06/10(日) 01:09:16 ID:W/esge95J.)
>>171
おそらく地元の人が散歩に来てたんだと・・・そう思ってます。
173 名無しさん (2012/06/10(日) 06:21:42 ID:aZQPxaeFFE)
     平郡島では幽霊船が目撃されるという……

平郡島の東南端5.5キロの沖合では、まさにオカルト板らしく、
神出鬼没の幽霊船が目撃されることで地元では有名らしい。
潮が凪いだ闇夜、突如として嵐が起こり、白波が荒れ狂ったと思ったら
巨大な黒船のシルエットが浮かび上がるという。
マストに一個の火が灯るや瞬く間に数を増やし、船全体が灯火の塊となり、
闇と激しい波間のさなか、しばらくの間、炎の浮き城となって姿を現すというのだ。

平郡東のみならず、平郡西でも同じような幽霊船が目撃されており、
同じく灯火の塊となった幽霊船が、見ている人に接近してきて、
ついには人々の頭上をかすめ山の彼方に消えていったとか……

明治8年、御用船『大阪丸』が食糧、金銀を満載して航行中、
平郡島の前にある船舶の寄港地、上関(かみのせき)に立ち寄った。
その際に船長をはじめ幹部らが豪遊し、ご用金を湯水のごとく使い果たした事件があった。
その証拠を隠蔽するべく船長らは平郡沖で船を沈没させた。事情を知らぬ水夫たちまで見殺しにし、自分たちだけが助かったのだ。
そのとき、罪もなく沈められた水夫たちの霊が浮かばれず、今もなお怨霊となってさまよっているのではないか、と言われている。

もっとも、『大阪丸』は3本マストで、英国で建造された総トン数440トンの船であったと記録に残されており、
幽霊船との因果関係は明らかにされていない。

この怪異譚は中央大学の民俗研究会ですら調査報告書を提出している。


柳井の昔ばなし 幽霊船
http://www.yanai-museum.jp/modules/ethnic1/photo.php?lid=118
周東総合病院No.207 02月号(なんと病院のホームページ!)の「5.峠の往来(20)」の部分を注視せよ
http://www.hsp-shuto.jp/shinkokyu/201102.html
174 名無しさん (2012/06/12(火) 21:15:33 ID:./jhkIKsCY)
523: キビチー(東日本):2010/10/24(日) 23:55:49.88 ID:e2UXFvEuP

昔小笠原の母親と娘5人の女だけの民宿に泊まったとき、
夕食のとき、どの子が一番かわいい?と聞かれた
角が立たないよう末っ子の中一の子をかわいいと言ったら、
午後十時頃、部屋でごろごろしてるとその子がきた
どうやら島以外の男性と交わるのが習わしらしい


528: プイ(東京都):2010/10/25(月) 00:02:14.64 ID:oaJGq7dP0

>>523
どこだよ!
小笠原のどこなんだよ!!


535: リッキー(東京都):2010/10/25(月) 00:17:51.93 ID:Gk35mlas0

>>523
少なくとも30年、恐らくは50年以上前だろ。
昔は島外の人と交わるのが当たり前だったんだよな。
思うに離島ゆえに血が濃くなることを避ける為の知恵だったかと。
175 (2012/06/20(水) 09:03:29 ID:k3GSrApz5Y)
削除(by投稿者)
176 ORE (2012/06/20(水) 09:08:38 ID:k3GSrApz5Y)
雄島は出なかったよ。夜中2時頃、東尋坊の写真撮りに行ったついでに左回りしてきたけど
小さな社しかなかったし

写真の一番下は雄島側から撮ったんだけどこの後
ライトつけずに3脚担いで橋戻ってたら向こうから来てたカップルが
悲鳴を上げながら車に乗り込んで逃げていったw

実際は写真よりもっと暗かったし2枚目の橋の奥から黒い影がこっちに
来てたらびびるのは分かるw

いや、もしや夜中2時すぎにぼっちで雄島に来てた寂しい男だから逃げたのか・・・
177 名無しさん (2012/06/20(水) 18:05:57 ID:mtx40F5b1M)
>>176
すごい高画質。
欄干の塗装が怖すぎ。
178 名無しさん (2012/06/21(木) 14:13:18 ID:mQrzlNDwFc)
雄島か。釣り人は平気で夜釣りする。
それも巨大なブリやヒラマサ、マダイが釣れる
スーパーポイントだな。

3年程前のGWに釣り仲間と訪れた際に偶然自殺騒ぎに遭遇。
駐車場に救急車、人集り、「もう死んでる、ダメだ・・・」
聞こえる方を見たら多摩ナンバーの車から若そうな男性が
運び出される所だった。

魚は黒鯛ばっかやたら釣れたなあ。

ついつい写メった